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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 模擬裁判員裁判の4時間で得たものとは
わたしが入ったBチームは、大学生3人、高校生3人、わたしの7人。
「裁判長やりたい人?」と今井弁護士に聞かれて、はいっと手を挙げた理系大学生男子が裁判長になり、彼の司会進行で判決をまとめていった。
「まず、実刑か、執行猶予つきか、どっちだと思いますか?」
「実刑、執行猶予、それぞれのメリット、デメリットは?」
今どきの大学生や高校生は議論に慣れているのか、自分の言葉で自分の考えを語る姿がとても自然。
審理のときも「裁判員席に座りたい人?」と聞かれると、次々と手が挙がり、証人や被告人への質問も矢継ぎ早に飛んだ。
「お母さんにおむつをするという発想はなかったんですか?」
「お母さんと二人で楽しく過ごせていましたか?」
「自治体や支援グループの活用は考えなかったのですか?」
「執行猶予になったとして、お母さんはいません。どうやって生計を立てていくのですか?」
「もともとスポーツはしてましたか? 足を使ったスポーツをされたことは?」
わたしが高校生や大学生の頃は、十人いたら一人か二人は物怖じしない子がいたけれど、今の子は、物怖じしないのが普通なのか。
それとも、休日に自分から学びに来ようという向学心にあふれたこの子たちが特別なのだろうか。
被告人役の方が何度か質問を聞き返す場面があった。それを見て、
「耳が遠いようですが、お母様の要望が聞こえていなかった可能性はありますか?」と質問した学生もいた。
わたしがあのいちばん高い椅子に座っていても、あんな気のきいた質問できなかっただろうな、と感心した。
さて、話を評議に戻して。
最初は「再犯の可能性は低そうだし、執行猶予つきで決まり」と思っていた、わたし。
でも、検察官の論告求刑を聞いて、「この判決が社会に与える意味」に想いを馳せた。
介護制度が充実したとはいえ、手続きやコストにハードルの高さを感じて、あるいは人手を借りることへの遠慮から、自力で乗り切ろうと背負い込んでいる人は、まだまだいる。
同じような事件は、また起こりうる。
「頼れるものに頼らず、自分を追いつめる」ことも罪なのだと知らしめる意味は大きいのではないか。
その意見を言うと、実刑に賛成という意見が相次いだ。
「執行猶予つきになっても生活の糧はない。ならば、刑務所で手に職をつける間に年金受給開始時期を迎えるほうが再出発しやすいのではないか」
「母と暮らし、母を殺してしまった家に戻るのは精神的に辛いのでは。環境を変えるクールダウン期間を持つことは被告人のためでもあるのでは」
「刑務所で、自分の罪と向き合い、母との思い出を振り返る時間を持ってほしい」
「刑務所で否応なく他人と関わることも、社会に対して閉ざされた被告人の生活を変え、社会復帰を促すことになるのではないか」
ただ、実刑にすると「前科持ち」になってしまう……と懸念の声。
これに対して「執行猶予であっても前科持ちにはなるので、刑務所に行ったかどうかの違いになる」と今井弁護士。
逆に「母の年金に頼っていた被告人は、刑務所暮らしに味をしめてしまうかも」という意見もあった。
他に「刑務所内の雰囲気は? カウンセリングとか受けられるんですか?」(受けられます)「刑務労働でどんなものを作っているんですか?」(昔はデパートの紙袋など。最近は携帯の基盤など)といった質問もあった。
また、被告人と兄との関係を考える人も多かった。
「被告人の兄の気持ちを考えると、実刑にして罪を償ったほうが、兄との関係も修復できるのではないか」という意見に対して、「介護を弟まかせにしていた兄にも責任はあるのではないか」と、わたし。施設に入れろとは言っていたものの、具体的な問い合わせなどはしておらず、もっと親身に相談に乗っていれば、事件は防げたかもしれない、と。
実刑か執行猶予では、実刑に決定。
では刑期は?
「法定刑は懲役3年以上20年以下。下限は情状により減刑して1年6月以上」となっている。
殺意はなくとも傷害致死事件は実刑に値することをメッセージするのが目的であれば、下限の1年6か月でいいのでは、とわたし。
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09月13日(土)
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