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脚本家・今井雅子の日記
by いまいまさこ
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■ 東京マラソン2008当日
ラストスパートどころか惰性のようによろとろ走ってゴールを踏んだとき、電光掲示板の時計は1:13:51。先週走った感触から70分ぐらいで走れたら上等と予想していたが、スタートラインを踏むまでに10分程度かかっているので、60分前後で走れたことになる。タイムは靴に取りつけたチップから計測されるのだが、スタートラインを踏むまでの経過時間を引いた正式タイムが3月中旬に発送されるとのこと。
フィニッシュ地点から日比谷公園に入ると、立て続けにアミノバリュー飲料、東京水、ソイバー(カロリーメイトみたいなもの)、青森りんごを配られる。水分も固形物もおいしく、体が生き返るよう。青森りんごを丸かじりしていると「ひとことお願いします」とビデオを構えた青森りんご関係者が近づいてきた。みずみずしくて最高!と絶賛。走った後のりんごは水分補給にもなる。ニュースで「今年はバナナ増量」とやっていて、食らう気まんまんだったのだが、10キロまでは配られなくて残念。計測チップと引き換えに完走メダルを受け取る。手荷物の受け渡しもスムーズで、第一回の反省をもとに、運営はかなりスマートになったよう。
月桂樹をかぶって記念写真を撮ってもらい、ガクガクの足で階段を上り下りして人形町へ移動し、30キロ付近で応援。道路の反対側は浅草へ向かう往路のランナーたち。皆、疲れているのだろうけれど、晴々としたいい顔をしている。10キロで音を上げていたくせに、フルマラソンを走ってみたい気持ちになってしまう。応援の合間に日本テレビの中継を見る。今年は芸能人やアナウンサーのランナーを追いかけたり、注目する一般ランナーを取り上げたりしてドラマを盛り上げていて、24時間テレビを見ているような感じ。ところどころ、そこまで感動を売りつけなくてもと思うところはあったけれど、走っている姿を映すだけで十分だと感じるのは、自分が走ってきたばかりで感情移入しやすくなっていたせいもあるかもしれない。
マラソン大会なるものに参加してみて、いちばん面白く感じたのは、「みんな違って、みんな一緒」ということ。老若男女、いろんな国の人、障害や病気を抱えた人、有名な人無名な人、みんな、ロードに出てしまえば、同じ距離を走りきるしかない。同じ数の坂を登り、同じ気温に耐え、同じゴールに向かってひた走る。頼れるのは自分だけなんだけど、一緒に走る人たちや沿道から声援を送る人たちとの一体感が力をくれ、自分を限界より先へと押し出してくれる。それがマラソンの醍醐味なのだと感じた。応援団出身のわたしは、自分が走るわけじゃないのに、自分のことのように一生懸命応援する沿道の人たちの姿にじーんとなった。そんな人たちに「ありがとう」「みんなも頑張って」と応援返しをするランナーの爽やかな姿にも感動した。使命感を持って生き生きと働くボランティアもまぶしかった。みんながみんなを応援しあって、笑顔と元気が飛び交って、東京ってすばらしい街だ、日本ってすばらしい国だ。うれしさや感謝の気持ちがこみあげて、走れば走るほど、体にたまった毒がどんどん抜けて行くようだった(乳酸がたまる5キロ地点までの話)。
少し前に読んだ新聞記事に、最近のマラソンブームは「ゆるい連帯感」(※後で記事を掘り出したところ、正しくは「ゆるやかな連帯」)が受けていると書かれていたことを、走りながら思い出した。連帯責任の重圧はないけれど、同じゴールを目指す同志がいる心強さに後押しされて、一人ではできないことを成し遂げられる。一致団結して力を合わせるチームワークとは違い、まわりの力を取り込んで自分のものにするゆるさ、ゆるやかさがある。願掛けで走る人、自分の殻を抜け出したくて走る人、メッセージを発信するために走る人……それぞれ背負うものは違っていても、同じゴールを見つめ、気持ちを向ける波長は、不可能を可能にするような大きなうねりを生み出す。わたしも走っているうちに、体の奥から力が湧いてきて、なんだってできそうな気がしてきた。気持ちが前へ前へと運ばれて、大きな手に背中を押された一日だった。
02月17日(日)
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