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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 五百円札の客 〜 円満院門跡・第56世 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040926
 
 その客は、駅前のカメラ店に、いつもタクシーで乗りつけ、運転者を
待たせたまま買物を済ませると、いそがしそうに去っていった。
 月に数回のこともあり、数ヶ月あらわれないこともあった。
 
 その客の用件は、もっぱら8ミリ・フィルムに関するものだった。
 海外旅行の記録ばかりで、大袈裟な僧衣をまとった人々が写っている
らしかった(店主にも8ミリの内容は、よくわからないのだ)。
 
 その客は、はじめ身分の高さが分らなかったが、一年ほど経ったころ、
店員が帳簿に記すために質問してから、断片的なことが判明した。
(このあたりの呼吸は、現代人には知られざる側面である)
 
 ある種の人たちは、まるで当然のように、金を払わずに商品だけ持ち
かえることに慣れていて、そうでない人たちが真似ようとしても、中々
しっくりこないものがある。このような買物ぶりを“つけ”と総称する。
 
 安酒場の客が、帰りがけに片手をあげると、亭主が渋い表情になる。
「またかいな、たのんまっせ」と嫌味を云えば、客はいつものように、
「わかっとるがな、今月まとめて払うがな」と答えながら店をでる。
 
 これが上客だと、だまって立ちあがるだけで、主人がお辞儀する。
「なんぼや、払うとこか?」「めっそうな、水くさいこといわんと」と
云いながら、女房も出てきて玄関の外まで見送るのである。
 
 こういう商習慣は、当時の人たちはそれぞれの流儀をあたりまえだと
考えていたので、ほとんど記録されていないのだ。たとえば勝新太郎が
祇園で十数軒も“つけ”ではしごした実態を伝える者がいない。
 
 与太郎は、小商売の経験もあり“つけ”のうらおもてに通じており、
つけたりつけられたり、虚々実々のエピソードを記しておきたいのだが、
それはまたあらためて別稿にまとめるつもりである。
 
 きょうのところは、冒頭の上客が亡くなったので、その上客がいつも
ピンピンの五百円札の束で支払っていた記憶だけを記しておく。
 意図不明にしろ、一万円札の札束よりも実利的だったのである。
 
 もうひとつの側面は、浄守志郎氏の主宰する「青人会」のメンバーで
あり、いけ花インターナショナルの発起パーティでも会ったことがある。
 いずれにせよ、いつも気ぜわしく、よくわからない人柄だった。
 
(Day'20041009)
 
>>
 
 三浦道明氏(みうら・どうみょう=前円満院門跡)9月26日午前2
時16分、肝臓がんのため大津市の病院で死去、69歳。大津市出身。
自宅は大津市園城寺町33。葬儀は11月9日午後2時から大津市小関
町7の5の小関天満宮内の北向不動尊で。喪主は長男光道(こうどう)
氏。
 円満院は1000年の歴史を持つ門跡寺院で、「鳥獣戯画」の作者と
される鳥羽僧正が門主を務めたこともあるという。道明氏は第56世門
跡に就任、2002年9月に辞任。道明氏は仏像販売などで負債を抱え、
国の重要文化財「宸殿」などを含む土地、建物が差し押さえられ競売に
かけられ落札。その後話し合いで競売は不成立になった。
── 《共同通信社訃報》
http://www.kyodo.co.jp/?PG=STORY&NGID=mour&NWID=LATEST
 
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 大阿闍梨三浦道海大僧正の長男、12才で得度、19701212智証大師の法
脈を伝える最重要の厳儀、勅会「伝法潅頂会」にて三井寺唯一の法脈相
承者となり阿闍梨となると共に奉行役の大役を果たしたことから若くし
て大僧正に推挙された。
 21世紀には宗派はなくなると予言、宗派、宗旨、男女、国籍、職業、
剃髪の有無など一切不問の超宗派の僧集団「円満大乗会」を主宰、二代
目貫主でもある。
 ベストセラー「気力」をはじめ「新・気力(PHP出版)」「死にたいなん
てあつかましい(PHP)」「仏事のこころ(紀尾井書房)」など40冊を越える。
 
── 《青人会の人々 1970 Awa library Report》/会議学入門
 
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── 円満院門跡・三浦 道明

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09月26日(日)
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