ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ NHK三人娘 〜 誰が青春を奪ったのか 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040919
Yahoo! 掲示板 Index をたどると、ホーム > エンターテインメント
> テレビ > アナウンサー > 森田 美由紀 ファンクラブ、とつづくが、
これまでのところ投稿がなく、ネット上のファンクラブはなさぞうだ。
与太郎は、かつて森田嬢のファンであるとともに、当代随一の指揮者
リッカルド・ムーティのファンでもある。ところが、ことしの新年早々
に森田嬢もムーティのファンであることが判明したのである。
今年のウィーン・フィル新年演奏会で、ムーティを紹介する彼女は、
身もだえせんばかりで、あの淑女が、あられもなく恋する熟女となって
いた。聴衆の中の、女性の表情を見るがよい。
なーんだ(それ以来、与太郎は両方ともファンでなくなった)。
さしもの伊達男も、いまや老眼鏡で楽譜をめくっている。
いまこそ《刑事コロンボ》の犯人役が似合うにちがいない。
終曲《青きドナウ》を一節振ってから、ちょっとしたスピーチ。
「シュトラウス一家の音楽は、人生の喜怒哀楽をあらわしている」
「世界中で、喜怒哀楽に対面する人々とともに、心からおめでとう」
毎年正月に正装した家族連れが、大聖堂に集まって、いかに名曲とは
いえ、あいもかわらぬ数十曲のワルツやポルカを聴くのは、信じがたい
マンネリズムである。だが、こういうものこそが文化なのだろう。
ほんとうは、ウィーンの音楽文化は、限られた特権階級の人々が享受
してきたので、日本人ごときが同じように楽しむのは分不相応なのだ。
すくなくとも、ウィーン市民は、そう思っているはずだ。
── 《芸術劇場“ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート 2004・
お正月の興奮を再び!ムーティが振る名曲のかずかず”20040919 22:20 NHK教育(再)》
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http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030115
── 《ニューイヤー・コンサート1993 リッカルド・ムーティ/ウィーン・
フィルハーモニー管弦楽団 UCBP-1019》
♀加賀美 幸子 アナウンサー 19400624 東京 /NHK《アーカイブス》
Muti, Riccardo 指揮 19410728 Italy /ウィーン・フィル〜《コリオラン序曲》
♀森田 美由紀 アナウンサー 19591108 北海道 /NHK《芸術劇場》
♀国谷 裕子 キャスター 19520203 大阪 /NHK《クローズアップ現代》
♀西本 智実 指揮 19700422 大阪 /国立ボリショイ交響楽団首席
すぐれた指揮者とは、楽団員にとって分りやすいことである。
音楽的な意図がわかりやすく、演奏しやすい指示が重要である。
とくに大曲では、全体を通じての整合性が指揮者の任務である。
わかりきったことを、わかりやすく指示するのは「チィチィパッパ」
のようで、バカにされる。気どって、おおげさな身ぶりもよくない。
楽団員よりも、聴衆に受けようとする態度は、軽蔑される。
あんまり個性的な解釈は、かならず反発される。
どことなく新鮮で、演奏してみると、なかなか面白い。終ってみれば
聴衆が喝采した、というケースが理想的なのだ。
日本の若手指揮者は、欧米のオーケストラで評判が良いという。
どうもマユツバに思えるが、ほんとうは彼らは、子供あつかいされて
いるのではないか。仕草や身ぶりが、幼稚でならない。
彼らは、楽団員に愛されるかもしれないが、出てくる音には思想的な
哲学が失せている。だれかのご機嫌をとることが、芸術性をそこねるに
ちがいない。どことなく一人よがりなのは、ハッタリなのだ。
カッコいい、という点で、近来の花形は西本智実である。
タカラヅカ調の華麗なルックスに、深刻かつ真摯な表情があいまって、
非の打ちどころがない。ケチをつけるには、相当な覚悟を要するだろう。
(つづく)
09月19日(日)
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