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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 無頼の研究 〜 キンコンカンの客たち 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030113
■2003/01/13 (月) キンコンカン(1)
映画監督の深作欣二氏死去=「仁義なき戦い」「蒲田行進曲」
2003 年 1月 12日(時事通信)
「仁義なき戦い」「蒲田行進曲」などで知られる映画監督の深作欣二
(ふかさく・きんじ)氏が12日午前1時、前立腺がんのため東京都中
央区の病院で死去した。72歳だった。水戸市出身。自宅は東京都世田
谷区成城5の5の10。葬儀は16日午後零時30分から中央区築地3
の15の1の築地本願寺第二伝道会館で。喪主は長男で映画プロデュー
サーの健太(けんた)氏。
深作氏は昨年9月、骨がんが全身に転移していることを告白、12月
に病を押して新作「バトル・ロワイアルU」の撮影を開始したが、年末
に激痛を訴えて入院していた。
1953年日大芸術学部を卒業後、東映に入社。61年に「風来坊探
偵・赤い谷の惨劇」で監督デビューした。72年「軍旗はためく下に」
で、戦争中に国家と組織によって圧殺される弱者の怒りを暴力と情念で
表現し、タシケント映画祭平和賞を受けた。
73年からは実録ノンフィクションを映画化した「仁義なき戦い」5
部作を発表、若いやくざの激烈な青春像をダイナミックに描いた。その
後、「柳生一族の陰謀」「魔界転生」などの娯楽大作のほか、つかこう
へいの舞台を映画化した「蒲田行進曲」が日本アカデミー賞作品賞に輝
くなど、各映画賞を総なめにした。
2000年の「バトル・ロワイアル」では中学生の壮絶な殺し合いを
描いて物議を醸したが、大ヒットした。97年に紫綬褒章を受章。
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昨年9月、「寿命というものはどうしようもない。燃え尽きたら燃え
尽きた時。精いっぱい出来ることをやっていきたい」と語り、12月1
6日に撮影に入った。
しかし、同21日に体の痛みを訴えて入院。プロデューサーでもある
健太さん(30)が、今月5日から監督代行として撮影を再開させた。
病院で健太さんがそれを報告すると、うれしそうに息子の頭をなでてい
たという。
今年に入って病状は安定していたが、11日夜に容体が悪化。妻で女
優の中原早苗さんや健太さん、「仁義なき戦い」に主演した俳優の菅原
文太さんらに見守られて、静かに息を引き取った。東映の関係者による
と、菅原さんは無念そうに「運命だな」とつぶやいたという。
── YOMIURI On-Line 20030112
(未完)
01月13日(月)
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