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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 大器晩成 〜 大先生と小生 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19830929
◆(不投函の未完回答より)
むかし日本のピアノ演奏家が、歯医者のように「はい、つぎの人」と
いうと、楽譜を抱えた受験生が入ってきて、ピアノの前に座りました。
その背後には、札束をもった母親が待機していたそうです。
受験生が一曲弾きおわるまで、たばこの煙を吹きあげてた大先生が、
「はい、おしまい」というと、いそいで母親が札束を差しだします。
大先生は、受けとった札束をピアノの中に放りこむと、こう云います。
「はい、つぎの人」
以上は、音楽大学受験生の間で、まことしやかに伝わっていた情景で、
わたしが見たのではありませんが、いまも目に浮かぶようです。
お金を払っても教わることができない先生もいます。
カザルスにレッスンを受けたチェリストは、生涯の名誉として、その
経歴に書きこんでいます。(*1)
カザルス晩年の公開レッスンを、テレビで観たことがあります。
アメリカの音楽学校生が数人つづいて、バッハの《無伴奏》を弾いた
ところで、巨匠が「こんどはわたしが弾いてみよう」と云いました。
おなじ曲をおなじように弾きはじめると、生徒たちはリラックスして、
みんなで笑ってしまったのです。「だめだ、こりゃ」という表情で……。
アマチュアの観客も、テレビ視聴者」も、なるほどと思ったはずです。
── 私に会いにきて、聞いてもらいたいというセリストの大部分は、
バッハの組曲をひこうと申し出る。私は彼らにこう言うのだ。
「ワルツでもなんでも、好きなものをやりたまえ。楽器の持ちかたひと
つで、もう私にはきみがどんな人かわかるだろう。」
── Corredor,Jose Maria/佐藤 良雄・訳
《カザルスとの対話 19670920 白水社》P256
── 井上 頼豊《回想のカザルス 199612‥ 新日本新書》
── カザルスを敬愛してやまない筆者のカザルス賛歌。1961年、カザ
ルスは85歳で初来日して、東京で公開レッスンをした。そのレッスンを
受けた筆者の詳細なレッスン記録が興味深い。
── 《チェロの部屋》(*1)当時49歳、巨匠85歳
http://www006.upp.so-net.ne.jp/KsLibrary/cello.html
われわれは、幼いころから始めて、切磋琢磨しながら練習を重ねて、
その頂点に天才が存在する、と思いこんでいます。これは幻想です。
なにしろシュタルケルは、9歳で大人を教えていたというのですから。
結論からいうと、天才はみずから出現するのです。他の誰かに啓示を
受けることはあるでしょうが、手をとって教わることはなさそうです。
もちろん、楽譜や楽理くらいは教わるでしょうけれども。
たとえば、録音された名演奏を聴いた直後に、自分で弾いてみるとか、
録音してみれば(どれほど差があるか)歴然と分かるはずです。
ところが、なぜか認めたくない深層心理が作用するらしいのです。
井口 基成 ピアノ 19080517 東京 19830929 75 /桐朋学園学長/秋子の元夫
♀井口 秋子 ピアノ 19051101 広島 東京 19841002 78 /東京芸術大学教授/基成の元妻
井上 頼豊 チェロ 19121119 東京 19961118 83 /桐朋学園大学名誉教授
Starker, Janos Cello 19240705 Hungary America 20130428 88 /
1968年、十字屋を訪れた大先生に大橋部長が《音楽百年表》を見せた。
たばこをふかしながら、ページを繰るスナップ写真が残っているが、
そのとき大先生が何と云ったのか、まるで記憶がない。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050923
点鬼簿 〜 与太郎の過去帳 〜 すれちがった人々
1990年ごろ、老シュタルケルが来日して、地方の市民会館で3000円の
ミニ・コンサートで演奏することを知った。生涯の記念に出かけようか
迷ったが、つい見送ってしまった。(20060525)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021212
ロストロポーヴィッチのアンコール
◆
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09月29日(木)
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