ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 編集帖
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700307
 
 編集帖
 
 今月からページ数が倍増した、といっても前号の例があるので、先の
ことはわからない。前号が、《10・11月合併号》となったのは、実は二
三の事情が重なって、遅れることしばし、ついには10月号を10月末に出
してどこがいけないかという有力意見も、それでは11月以降の出る幕が
危うくなるだけ、という正論を経て、結局は妙なことになってしまった。
奇特にして毎号お読みいただいている方々には、まことに礼を失した次
第である。
 
 去る9月12日、休刊あるいは延刊もしくは併合の報告をかねて、快晴
の瀬戸内海は舞子海岸にある小石忠男氏宅を訪れた。かの《文芸春秋》
創刊時の編集長であった菊池寛大人は、依頼原稿を受けとる日には、卒
然と下駄をはいて各執筆者の自宅におもむいたという。日頃、編集者た
るものかくあらん、と人にも伝え、みずからにもいいきかせるうち、半
年が無為にうち過ぎてしまっていては、単なる不意の訪問にすぎず、さ
すが下駄はあきらめての参上。“表紙を色刷りにするとか、もう少しな
んとかならんですかなあ”と氏はおっしゃるが、目下のところ確答はで
きない。常はもっと欲張って、付録にソノ・シートなどイカすのではな
いか、などと夢想こそすれ、まったく先のことはわからない。長居の間、
バーンスティンの《運命》解説レコードなどあれこれ聴かせていただく
うち、対岸の四国も暮れて、手みやげに持参した千枚漬、その夜氏夫妻
の食卓を飾るやいなや、数うれば氏の玉稿はあわせて50枚に満たぬ、な
どとつまらぬことを考えながら帰途につく。
 
 小石節につづくは出谷節、佳境たけなわの自作自演シリーズも予定で
は来年3月まで。次なる連載のタイトルを協議中である。“愚作愚演と
か偽作偽演はどうだろうか”との愚案に、彼出谷啓氏はあきらかなる侮
蔑のまなざしにそえて、こんな実話を話してくれた。
 さるレコード店に、《月光ソナタ》を求めるひとりの客があった。そ
こに居合わせたD氏にたずねていわく“ベートーヴェンの演奏したレコ
ードはないんでしょうか?”依頼絶句した彼は、いまだに賢答の見当さ
えつかぬ、という。
 
 “一聴一席”が、一朝一夕あるいは一石二鳥に由来する一種の洒落で
あることを英語で説明することが可能かどうか、などと通訳の門脇邦夫
氏と最初の打合せをしたのは6月のはじめだった。ききてと速記者とカ
メラマンと録音技師そして編集者、さらにレイアウトマンを一身に負う
者として、かねて用意するたとえを披露するならば、この記事の制作は
一種のひとり麻雀に似て、もち帰ったテープを反復すること十数回、ひ
とつひとつのことばを、パイの如くにいったんかき混ぜはするが、それ
以外のことばをほとんど用いないのが主義といえばいえよう。日本語を
日本語でかきまわすのはまだしも、外国語となると、まるで勝手がちが
うのは当然ながら、今回のハモールスキー館長の場合は、あたかもトラ
ンプで花札をやるようなものだった。
 話題が“Cross Cultural Communication”に終始したこともあり、
言語学者でもある館長としては伝達ないし翻訳にきわめて厳格にのぞま
れるところで、日本語の原稿はもとより、さらにその英訳を要求される
に及んで門脇氏、こんどは花札でポーカーをやる破目とはなった。二度
が三度、三度が四度に、通訳とききてはテープレコーダー、タイプライ
ター、辞書それに、やかんいっぱいのコーヒーを動員してのディスカッ
ションを重ね、何のことはない受験前夜の心境のうち、ふと思い出した
のは最近のハウ・ツーもの《カタコトでもいーです》とは何事ぞ。
 
(1969・12・3/シェリング独奏/シューマン《ヴァイオリン協奏曲》を
聴きながら) 
 
 編集帖
 
 2月11日、北白川の浄守志郎氏宅を訪問。
 SP時代の演奏家気質にはじまって“今日の演奏家にしても、どちら
かといえばロマンチストであってもらいたいですなあ”どちらともなく

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03月07日(土)
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