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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 人間の条件 〜 千三百万部のベストセラー初版 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560810
── まえがき
或る局面での人間の条件を見究めたいという途方もない企みを私はし
た。大それたことだとは、手をつける前からわかっていたが、あの戦争
の期間を、間接的にもせよ結局は協力という形で過ごして来た大多数の
人人が、今日の歴史を作ったのだから、私は私なりの角度から、もう一
度その中へ潜り直して出て来なければ、前へ進めないような気がした。
書き終ってみて、果して出て来られたかどうかは怪しいものだが、この
一年間、作中の人物と共にあの数年間を暗中模索したことだけは事実で
ある。そしてまた、人間が生きて行く条件を、あとになって整理したり
修正したりしても、失われた日日は遂に甦らないということも(*)、
悲しい事実である。
「人間の條件」という題名は、アンドレ・マルロオの作品に同名のも
のがあるので、随分気になったが、他につけようがなかった。
これは勿論フィクションである。梶をはじめ、人物は実在しない。い
つの時代でもそうだが、歴史の事実はフィクションよりも遥かに複雑で、
ドラマチックである。それはそのわけなのだ、無数の人間が長い時間を
かけて織り成す壮大な社会劇なのだから。そういう歴史を前にしては、
虚構という手法に拠らなければ、とても真実の門口に近づくことが出来
るものではない。
物語の時を戦争のさ中に置いたけれども、歴史がもしなんらかの程度
に繰り返されるものならは、われわれ戦中派が味わった苦汁は、戟後派
の人人とも無縁ではないかもしれない。何故と云って、われわれが前の
世代の遺産としてあの戦争を苦痛と絶望の中で背負った事実があるにも
かかわらず、いままた怖ろしい遺産相続の遺言がなされようとしている
かに見受けられるからである。多少でもそういう共感が得られるとすれ
ば、作者の願望は殆ど刺すところなく果される。
ところで、何を書くにしても、それが物語であるならば、面白くなけ
ればならない、という観念から私は離れられない──面白く書けたかど
うかは別として──。私がここで云う面白さは、練達の文学者達からは
「通俗」だと誹訝されそうな面白さである。もし大衆の健康な欲望が求
め、親しみ易いと感ずる面白さがそういうところにあるのだとしたら、
私はそれを探したい。それが追随主義になるかならないかは、面白さの
せいではなくて、主題の質の問題である。私はせいぜい面白く書こうと
した。それにもかかわらず、随所に晦渋で生硬なところがあるらしい。
力量不足で、大それた仕事が所詮手に負えなかったのである。
この作品に関して、三一書房の編集部長竹村氏から過分な評価を頂い
たが、これが纏まるまでには、理論社の小宮山氏、祖父江氏、劇団民芸
の早川氏から、示唆に富んだ数多くの助言を頂戴した。殊に、早川氏に
は、この小説の発想の当初から随分厄介をかけた。これらの人人の厚意
と友情がなければ、無名の作者の作品は活字にはならなかったに違いな
い。記して心からの謝意を表したい。
一九五六年七月一一日
五味川 純平
(P003-005)
◆ 帯文学(*=まえがきより)
── 戦中派の新人彗星の如く出現/戦時下における知識人の苦悶、良
心と恐怖の格闘を一身に体現した人間の心の振幅を仮借なく追求したも
のである。これは戦中派が一度は通ってきた道である… 第一部 170円
── 「真空地帯」に比肩する作品/人間が生きて行く条件を、あとに
なって整理したり修正したりしても、失われた日日は遂に甦らないとい
うことは(*)、悲しい事実である。だが……………… 第二部 170円
── 限界情況における心理と行動/たたきのめされても、泣きもしな
い。逃げもしない。軍隊という組織のなかでがんじがらめにされながら
も、梶の情熱はたえず煮えたぎっている。だが……………………………
… 第三部 170円
── 人間の良心に対決する作品/戦争は、人間に何を与え、かつ、人
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08月10日(金)
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