ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 教えてOK 〜 終りなき反論 〜
── 内務省地理局《三正綜覧 188001..-19650630 地人書館》P35
 
ですから、どうだとおっしゃるのでしょうか?
問題にしていたのは、紀元前45年の冬至のはずです。
「儀鳳暦」は文武天皇の時代、西暦697年の採用です。
「元嘉暦」は持統天皇の時代、西暦692年採用で、
しかも、わずか5年しか使われなかった、不確かな暦です。
なぜ、そんなものをわざわざ文献として提示されるのでしょうか?
 
この当時の冬至点と、紀元前の冬至点が違うことは明白です。 
地球の歳差運動を全く無視されているか、避けておられるようです。
 
>「(すなわち冬至後約一〇日)」
 
これは『時と暦』の「はしがき」に書かれてある文です。
目次の前にあります。つまりこれは読者に呼びかけているんですよ。
冬至は一般的に12月21日前後なのに、
なぜ10日もずれているのかと。
それを本文で解説しているのです。
本文で「年初は冬至の近くに設定したことは確かのようです」と
書かれている部分を無視されるのでしょうか。
正しく著書を読まれていない。著者に対しても間違って多くの人に伝え
ることは失礼でもあります。
 
>「三日月の3日前が朔日(No.3)」
これは誰でも常識でわかることで、これがなぜ
紀元前45年の1月1日や2日の証明になるのでしょうか?
何の説明にもなっていません。
 
>「冬至・夏至・春分・秋分」のような天文現象とも一致しないのです。
と、No.3で書かれた文献などを、最後まで提示されませんでした。
これで、どちらが正当性を主張しているか、お分かりでしょう。
 
もう1点、著書を掲げましょう。
『宇宙からのメッセージ』歴史の中の天文こぼれ話
斉藤国治著(古天文学専門)雄山閣
P106「中国では古来冬至を1年の基準としていたので、冬至の日時の決
定は暦学上に重大な問題とされた」とあります。
 
補足: 補足を記入します(質問者のみ)
 
お礼: お礼を記入します(質問者のみ)
 
 役に立った:0件
 
────────────────────────────────
(つづく?)

12月27日(月)
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