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与太郎文庫
by 与太郎
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■ テープ・ヒステリー
ックと入力ジャックを直接つなぐだけでよい。他のアンプを通すとそれ
だけ音質が低下する。もちろん転写するだけでも、いくぶんかは覚悟し
なければならず、高忠実度派にはいささか不向きかもしれない。しかし
写真や映画に、ネガティブ原版があるように、それによって得られる効
果は大きい。
音質とともに音量の低下もあって、その誤差は機種によっても異なる
ので、あらかじめ充分に算出し、耳でも確認しておきたい。
先の、拍手を延長するには、延長するといっても、そのままくりかえ
すと妙なことになるから、いちばん波が高く、持続した部分を選んで、
転写したものを割りこませる。実際にはとてもこんな馬鹿らしいことは、
おすすめできないが、応用によってはさまざまの情景を演出できる基本
的な例である(単純に一部分だけを割りこませるだけでなく、左右チャ
ンネルにずらして入れると、さらに自然になる)。
転写の技術が、もっとも多用されるのは、種類や速度の異なるテープ
を本命機器で再生する場合である。たとえば、秒速 4.5センチのテープ
があって、機器の最低速が 9.5センチの場合は、デッキAに元テープを
9.5センチ、デッキBに生テープを19センチで転写したものを、 9.5セ
ンチで再生すればよい。
モノラル2トラックのテープから、4トラックに転写する場合には、
右チャンネルは無音となる。左右に入れたければ、別のアンプを通すか、
あるいは専用のジャック・コードを結線しておくとよい。同様に、モノ
ラル機しか持っていない人に転写を頼まれたら、左チャンネルだけ入れ
るか、モノラル機に専用コードで結ぶか、あるいは別のアンプでモノラ
ルにして写すわけである。
こうしたケースでは、いいかげんに、スピーカーにマイクロフォンを
突きつけたりする人が多いけれども、緊張のわりにできあがったものは
不良である。
マイクロフォン・ミキサーという商品がソニーにあるが、現在の水準
からみて実用に耐えるものではなく、いずれはミキシング・アンプの手
頃なものが発売されるべきであろう。
■ 創る
レコーデッド・テープの優秀な音に聞きなれると、もっぱら受動的に
しか物事が感じられなくなるように、かつての伝説的な8ミリ・マニア
のような在りかたは望むべくもない。しかし、本来マニアというものは、
たいがい人のやっていないことに注目し、ひそかに独創的な領域に挑ん
でいるのではないだろうか。
はなやかな話題のほとんどは再生の面に集中し、録音の対象としては
英会話にはじまって、とりとめもないホーム・サウンズとか、高級機を
求めてもレコードや放送からの盗録(!)がせいいっぱい。機能の活用
に関しては、まことに効率の低いのが惜しまれる。
テープ・ミュージックのひとつの典型をあげるならば、一柳慧の作品
だったか《水の音楽》がふさわしい。流れる音、落ちる音だけを素材に、
大胆な距離感覚によって創りだされた音の世界は、印象派風であるとと
もに、きわめて抽象的である。アイデアの結晶というには、あまりに美
しすぎた。
もうひとつ、音ではないが《ポケットのゴミ》による顕微鏡写真を観
たことがある。山海の珍石によらず、みずからのポケットに取材したも
ので、信じられないほど、美しい世界がそこに在った。こうした美しさ
はあらゆる評価を超えてしまう。
創作テープのすすめ、具体的な手法はあげるべくもないが、こうした
野心があればこそ、この厄介なしろものに取りくむ値うちが認められる
べきではないか。 (A)
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《ポケットのゴミ 195・ アサヒカメラ》撮影者、不詳。
《水の音楽》は、一柳 慧ではなく、武満 徹の作品。
(20061119)
01月19日(月)
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