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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 一聴一席Hふるさとドイツ クリストフ・ケンプ京都ドイツ文化センター館長をたずねて
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700116
── ベートーヴェン生誕 200年祭で ことしはおいそがしいですね
ケンプ 演奏家の来日も 例年よりいくぶん多いかもしれませんね
ウィルヘルム・ケンプも 4月13日 京都へ来ます 残念なことに一度
だけですが
── ウィルヘルムさんと おなじ姓でいらっしゃるのは あるいは
ご親戚ですか
ケンプ たぶん そうだと思います 私の おじいさんの父(曾祖父)の
時代に チューリンゲンのエルフルトというところから ドレスデンに
やってきて ときのザクセン宮廷のお役をするようになった ところが
おなじ出身地の Kemphh 姓が たくさんいたために つづりを Kaemph
と変えたのだそうです(笑)ウムラウトではなくて ドイツでもこう
書くのですが まるで外国人のようでしょう(笑)そして 私の おじ
いさんの若い頃の写真をみると ウィルヘルムと おなじような顔だち
です(笑)
── おふたりは 旧くからのおつきあいですか
ケンプ いや 私がライプツィッヒ大学から京都大学へ 交換学生とし
て日本へ来たのが昭和12年で そのときちょうどウィルヘルムが 最初
の来日で 京都でも演奏会を開いたのです はじめて京都で会ったわけ
です そして ともだちになりました
── 音楽のご趣味は ごくご幼少のころからですか
ケンプ たいへん好きです 小学生のときから 毎週 父と母に連れら
れて ドレスデンのオペラ劇場に 通いました かつて リヒャルト・
ワグナーの活躍した劇場へね
── 演奏もなさいますか
ケンプ ピアノを習いました いまに十字屋さんから エレクトーンを
すすめられるようになるかもしれません(笑)
── 最近の日本は 終戦のあと文化国家としての目標をかかげたにも
かかわらず むしろエコノミック・アニマルとして 有名になりすぎた
ようですが(笑)共通の出発点をもっていたドイツでは いかかでした
か
ケンプ うーん アニマルとはいいたくはないが(笑)だいたいは似て
いるようですね その前の 第一次大戦のあとでは“黄金の二十年間”
といわれたように 経済的にはともかくも 文化の面でほんとうの発展
がありました ところが第二次大戦のあとでは それまでの あらゆる
文化の中心であったベルリンが 四分されてしまったことや まずは
なにをおいても 普通の生活に必要なことから整えなければなりません
でした はじめに食べること これを“Fressen”というのは たいへん
動物的な 品のわるい表現なのですが その次に住居でした 日本のよ
うに 木造家屋ではありませんから 戦災のあと焼野原になるどころか
石だらけの廃虚が残ったのです 古い石をかたずけるのは 新らしい石
を積むことよりも 高価で たいへんな作業です そして最後に着るこ
と 衣服のおしゃれです
── 日本では ひとくちに“衣食住”と申しますが お国柄によって
は 順序もちがうわけですね
ケンプ 最近は 外国旅行がさかんになりましたから このあたりは
日本と同じみたいですね(笑)われわれの日独文化研究所も 戦時中は
どうしても政治的な宣伝をしなければならなかったし 近年は どちら
かといえば エコノミックな面がかなり 出てきています しかしこれ
からは ほんとうに文化の面でいい仕事をしなければ と思います
そのために 私は働きたいものだ と考えています
── ドイツには たびたびお帰りになりますか
ケンプ 契約で 3年に一度 4ヶ月の休暇がありましてね 私の故郷は
いまは東ドイツになってしまったので もっぱら家内のふるさとである
ハイデルベルグへ行きます 昨年の夏には そこで園田 高弘さんの
演奏会を聴きました 大成功でした
── こんどは ドイツで 日本人にお会いになった(笑)
ケンプ スイスのチューリッヒにも行きましたが ここで謡曲と狂言を
観ました 日本人が演じたものではなく なんとも感じがちがうのです
ポスターにしても 能面を描いたものの いかにも珍妙でした(笑)
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01月16日(金)
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