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与太郎文庫
by 与太郎
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■ チェリスト 〜 ドン・キホーテ群像 〜
「セイジ、弱くなるところを、もっと弱くしたい。ここだ、ドン・キホ
ーテがドルネシア姫を発見したんだ」(第二変奏、理想と現実の対決)
この曲はチェロ協奏曲ではなく、独奏チェロが主人公のキャラクター
を奏でるもので、従者サンチョは独奏ヴィオラ(店村 眞積=本宮先生
の教え子!)が受けもつ。
スペインの国民的作家セルバンテスは、イギリスのシェークスピア、
フランスのユゴー、日本の紫式部に匹敵する。原作の背景となる風土や、
由緒ある建物、初版本や直筆の楽譜などを映像で辿り、ちょうどNHK
《名曲アルバム》全曲ノーカット版のような映画で、来春放映らしい。
今日マエストロと呼ばれた数すくない巨匠の、最後の演奏である。
最終部分のグリッサンドに、とくに共感があると語るが、もちろん
原作も(死に直面する者だけが知るべき)臨終描写がきわだっている。
19950123 阪神大震災直後の追悼演奏会で、ロストロポーヴィッチは、
バッハ《無伴奏チェロ組曲第二番:サラバンド》を、アンコールとして
演奏する前に「この曲が終わっても拍手しないで、皆で祈りましょう」
と言った。NHKテレビで放送された有名なシーンたが、くわしくは、
HP(19950604)を「スラヴァ」と題して、昨日分に転記した。
実は、この演出は、これがはじめてではない。最後に弾きおわった弓
をいつまでも降さなければ、聴衆は拍手できないのである。われがちに
「ブラボー」と叫ぶ連中を、みごとに撃退した効果もある。
1972 京都市交響楽団公演で与太郎は、ギターの尚永 豊文氏とはじめ
て聴いたが、ドヴォルザーク《チェロ協奏曲》を終えて、オーケストラ
のメンバー全員をステージに載せたまま、ひとりで無伴奏を弾くのは、
ヴィルティオーゾならではの専横である。
19891109 ベルリンの壁が崩壊した翌日に、現地に駆けつけた巨匠は、
この曲を路上で弾いている。
■2002/12/17 (火) アンコール
ロストロポーヴィッチに関する、与太郎メモ。
19840416 倉敷市民会館でのリサイタルは、アンコールにブラームス
《奏鳴曲》暖徐楽章を再演(ピアノ=ランバート・オーキス)。
これほどの巨匠が、地方都市に来るからには、市長はじめ有力者が、
夫人同伴で正装して迎えるかと思ったが、まったくその気配はなかった。
最前列の席をとった与太郎は、ステージの最後に、アンコールや花束
の儀式も終えてから、マエストロにプレゼントすべく、将棋の駒を用意
していたのである。だが、ふりかえると中学生や高校生ばかりの客席に、
気分をそがれて、そのまま持ち帰ってしまった。
もともとアンコールは、聴衆に求められれば、プログラムの途中でも
おなじ曲を繰返していたのである。いつごろからか、作曲家が別の新曲
を(宣伝のために)披露しはじめたのであろう。現代の聴衆にとっては、
一曲トクした気分になり、知らない曲にめぐりあうきっかけにもなる。
図に乗った聴衆が、入場料のモトを取るために、延々と催促の拍手を
続けて、三曲くらい弾かせることもある。
神戸大震災の第一夜から、約二ヶ月にわたってNHKテレビは、同じ
作曲家、同じ曲目、同じ演奏家(未詳)によるCDをくりかえし流した。
これを契機に「あの曲は、二度と聴きたくない」という人がいるかも
しれないが、ジャズ・サックスの演奏するCMが登場するなど、この曲
の好感度は相当なものである。
演歌が「日本のこころ」であるなら、または文部省唱歌が清く正しい
ものなら、このような大事故のあと、人々の心を安らげるはずである。
しかし、シャンソンもジャズもロックも、あるいは賛美歌さえも、ほん
とうに深刻な事態にはそぐわないことが証明されたのではないか。
(地味な曲だから誰も気に留めなかった、という反論もあろうが)。
あらかじめNHKは、このような未曾有の大事故に備えて、この曲を
定めていたにちがいない。それが見識というものである。
バッハ《無伴奏チェロ組曲》全6曲にかぎらないが、楽譜を読めない
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12月12日(木)
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