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与太郎文庫
by 与太郎
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■ レコード・サロン 〜 Paper Concert 〜
もそんなことはやらなかった」と独創を重んじた彼が、はたせるかな、
つぎに聴く《ボレロ》で、だれもやらなかった試練を課しています。ま
ず全曲を通じて、小太鼓が同じリズム、同じクレッシェンドで、独得の
ボレロのリズムを刻みます。下降と上昇の二つのメロディを、二回づつ
くりかえして、応答させます。オーケストラのすべての楽器がソロはも
ちろん各種の組合わせで、ユニゾンで出没し、旋律を了えたあとは、か
ならず伴奏のリズムに参加します。
 すべての指揮者にとって、たいへん演りやすい面もあり、したがって、
だれが振っても変りばえしないであろう、皮肉な作品です。
 フランスの、フランスならではの理性を、いつの場合も失わなかった
クリュイタンスの指揮によるパリ音楽院管弦楽団の演奏でさえ地下のラ
ヴェルの気に入るかどうか、わかりませんが。
(次回は7月 日/ 曜日です)
── 《レコード・サロンA 19710610 Awa Library Report No.5》19710701
 
 ◆
 
19710708 レコード・サロンB 〜 Paper Concert 〜
 
 たとえば、カッコーという鳥の声を、文字であらわせば、文字どおり
「カッコー」あるいは「CUCKOO」となります。さらに、ドレミフ
ァで示す例は、ほとんどが「ミッドー」です。
 音楽における描写は、実際の音をまねることではありません。ある観
念をくぐるための簡略な手法にすぎません。
 そこで今回のテーマは、音楽における描写として、水に関する例をい
くつか取りあげてみました。化学用語でいえば「H2O」です。
 さまざまな作曲家たちが、水あるいは川・河・海、さらには波など、
それぞれ異った感受性のもとで観察し、まことに多彩な世界を展開して
います。
 まずは、ヴィヴァルディ(1675〜1741)の《ヴァイオリン協奏曲:海
の嵐》を、イ・ムジチ合奏団で聴いてみましょう。海だから、嵐だから、
とあまりに意識して聴くと、いささか失望されるかもしれませんが。
 つぎに、古今の大作曲家のなかでも、とくに、観念のかたまりのよう
なベートーヴェン(1770〜1827)の《交響曲第6番:田園〜第2楽章》
です。楽譜には「小川のほとりの場面」などと注釈があるそうですが、
ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団の整然とした歩調が、古典
音楽のスタイルにきわめて忠実な演奏です。
 スコットランド沖の孤島から、旅を了えて帰ってきたメンデルスゾー
ン(1809〜1847)が「口ではいえないが、音にするとこんな印象だった」
と一気に書きあげたのは、《序曲:フィンガルの洞窟》という風景画で
す。
 さきの曲にくらべてスマートな額縁におさまっている点を、同じ指揮
者と管弦楽団のレコードで聴くことにします。
 旅の音楽家に対するは、ボヘミアの国民楽派スメタナ(1824〜1884)
の連作《交響詩:モルダウ》です。二つの水源から発して、川になり河
にひろがり流れるさまを、いかにも誇らしく歌いあげるために、ともす
れば気分に流れやすいこの曲を、フルトヴェングラー指揮ウィーン・フ
ィルが、その観念的要素も存分にひきこんでの好演です。
 音楽の都ウィーンのワルツ王シュトラウス(1825〜1899)が依頼され
た際も、ある種の郷土愛をうたうためでした。男声合唱のための《美し
く碧きドナウ》が、その作品です。ここでは、ウィーン少年合唱団の登
場です。一連のウィンナ・ワルツというものを、交響曲やソナタと同列
に論じることはできませんが、軽音楽としての魅力、気品ある美しさは
まさに屈指のものです。
 国民楽派とよばれた作曲家は、概して孤高の信念の持主がおおく、北
欧フィンランドのシベリウス(1865〜1957)も巨峰という他はありませ
ん。死と現実の、二つの世界をつなぐ黒い河に浮かぶ白鳥の歌《交響詩
:四つの伝説曲〜トゥオネラの白鳥》は、感傷も幻想も超えた次元の作
品です。オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の、冷静であくこ
とのない追求もまた、壮挙というべきでしょうか。
 ドイツを中心としたドイツ的観念が、やがて病みおとろえる頃、20世

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07月08日(木)
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