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与太郎文庫
by 与太郎
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■ なにかと3億 〜 セレブ母娘の事件簿 〜
をくぐり抜け、池田は志望通り日本大学芸術学部放送学科に合格した。
《77ページ》
「その通りかもしれません。確かに、当時は誰もがうらやむ幸せな結婚
でした。今でも母はそういいます。
結婚披露宴は、虎ノ門のホテルオークラで二百五十人ほどを招いて開
きました。父と母は終始嬉しそうな顔をしていました。二人の笑顔を見
ていると、結婚して本当によかったと思いましたね。当時はまだOL生活
を送っていたペコ(家田荘子)も来てくれて、得意のエレクトーンを聴
かせてくれました。曲は学生時代にハマっていたアース・ウィンド&ファ
イアの名曲『宇宙のファンタジー』。二次会は日大芸術学部の友人がセッ
ティングしてくれて、午前二時くらいまで騒ぎました」
《86ページ》
大きな波風は立たなかったが、心のモヤモヤは晴れぬまま一年が過ぎ
た。そして明くる年の三月、池田は待ち望んでいた子供を無事出産する。
この子が現在女子高に通っている、娘の果菜子ちゃんである。
《106ページ》
果菜子ちゃんを連れて古河市の実家に戻った池田は、話し合いの経緯
を両親に伝えた。彼女にしてみれば屈辱の報告に違いなかったが、両親
は落胆するでもなく、人生はじめての大きな挫折を味わい帰ってきた愛
娘を温かく迎えた。
父親の実さんは結婚を許した責任を感じ、みずから神宮前のビルを訪ね
て女婿と話し合いの場を持った。結局は弁護士を両家の間に立てること
になり、池田が埼玉のマンションに移ってからちょうど一ヶ月たった六
月末、協議離婚が決まった。
《111〜112ページ》
「もう一度やり直そう」。そう決意した池田だったが、いきなり美容外
科医への道に足を踏み入れたのかというと、そうではない。
「検事になろうって考えたんです。突拍子もないと思ったでしょう。で
も、高校時代のわたしが『女優になりたい』って言ってたのとは全然違
うんですから(笑)。実は小学校の卒業アルバムには「法学者になりた
い」って書いたんですよ。母は医学部受験をさせようと思っていたんで
すがね。
自分で言うのも変ですけど、わたしって、“正義漢”なんです。自宅
や病院の休憩室でテレビを見ていると、『銀行強盗は車を奪って逃走中
です』とか『脱税の全容はいまだ明らかになっていません』というニュー
スが流れるでしょう。わたしはニュースを見終わったら電話をかけるよ
うにしているんです」
どこに? なんのために?
「もちろん警察署です。自宅と病院を管轄している渋谷警察署にハッパ
をかけるんです。『早く捕まえなさいよ、頑張って』って。おかしいで
すか?」
十分おかしいし、渋谷警察署だって忙しいのに迷惑していることだろ
う。
《127ページ》
池田が二度目の大学生活を送った、東京都・三鷹市にある杏林大学医
学部を訪ねてみた。
《133ページ》
結局、入局決定まであと一週間というギリギリのところで、池田は終
始心配してくれた心臓外科の教授に詫び、形成外科への入局届を提出し
た。
《140ページ》
この事件の後、池田は大きな方向転換に打って出る。研修後は大学病
院や大学の関連病院に残る医師が多いなか、いきなり独立することに決
めたのだ。
《161ページ》
オープンの準備が整ったクリニックにふらりと池田を訪ねた。
JR渋谷駅をハチ公口から出て、線路沿いに歩く。若者たちがタワー
レコード前で立ち話をしている。陽気な春休みの雰囲気に足を止め、目
の前にあるビルを見上げると、取材中に池田がこだわりを語ってくれた
『池田ゆう子クリニック』の斬新なロゴが目に入った。
http://khon.at.infoseek.co.jp/chosha/i061.html
06月26日(月)
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