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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 無人警察(1)
もつ人々の免許取得はその約四十八パーセント、そしてその三十九パー
セントが実際に運転していること、その事故率は健常者に比べて低いこ
とが報告されています。日本てんかん学会ではこうした調査に基づき三
年間発作をみていない本人に対して、免許取得を認めるよう提案を行っ
ています。
「事故当時意識を失っていた」という新聞記事があるとして、それが
てんかんだと勝手に推論し、それが新聞記事に出ないのは「てんかん差
別の糾弾」が激しくなったからだと根も葉もないことを並べるに至って
は、これが社会的に評価を受けている作家の発言かと、その品位を疑い
たくなる言葉です。
一体いかなる団体が、いつ、どこで、てんかんに関して事実を隠蔽す
るような「糾弾」なるものをやったのか具体的に示していただきたい。
また、意識を失う疾患がどれだけあるのか。知った上で筒井氏は発言
されているのでしようか。もし、そうだとすると、なぜ「知らないふり
までして」こんなことをいうのかお伺いしたいものです。
日本てんかん協会が「てんかんをもつ人々にも車の運転をさせようと
いう運動をしている団体のように読み取れる」と、協会に対する誤解を
意識的に広めようとしていますが、声明文に添付して送付しました「て
んかん制圧運動の基本理念」には、「社会一般の常識に基づいた活動」
が基本原則とはっきり書いてあります。発作による事故の心配や、本人
や他人の命に危険をもたらす可能性のある本人に対してまで、運転免許
取得を認めよなどとは、協会はいっていません。協会の要求は、裁判所
の判例にもあり、また、日本てんかん学会の提案にもあるように、長期
間発作がなく、運転中の発作による事故の心配がないものに対しては、
免許取得を法的に認知して欲しいということです。
それに対して、長年なくても、絶対発作がないといえるかという反対
論を聞くことがあります。しかし、それについては、その確率は非常に
小さく、健常者が偶然に事故をおこす確率とほとんど変わらないという
判断があるからこそ、裁判所の判例や学術団体からの提案が出されてい
ることを、指摘しなければなりません。また、発作性疾患は、高血圧、
心臓疾患、ぜんそく等、てんかん以外にも数多くあり、それらの自動車
運転には何の法的規制もありません。ところが、一九八後年に東京都だ
けで運転中に心臓発作で突然死した人数は七十六人に上っています。そ
れに何といっても、交通死亡事故原因の圧倒的多数は、本人の暴走で、
交通死亡事故全体の四十四パーセントに上ります。したがって、いま、
私たちの要求が社会に大問題を引きおこすかのように非難することは、
てんかんだけを特別視、差別する何ものでもないことを私は訴えます。
三、「教科書として使用した場合、てんかんをもつ高校生や近親者にて
んかんをもつ人々がいる高校生が存在するとき、どのような思いで授業
に臨むことになるか考えて欲しい」という日本てんかん協会の指摘に対
し、筒井氏は「文学論で答えるしかない」といって、芸術形式からいっ
て小説が人を傷付けるのはさけられないかのようにいっていますが、こ
れについては、三つの問題を指摘させていただきます。
第一は、小説には多様な形式があり、「誰かを傷つけているという芸
術形式」だと断定する筒井氏の文学論はあまりにも一面的過ぎることで
す。ただ、読者の心に切込み、葛藤させ、価値観をゆるがすことを、
「傷つける」というのであれば、文学にそうした一面のあることは否定
するものではありません。しかし、それが読者に文学的感動となって結
実し、精神の解放につながることができるのは、そこに真実があるから
であり、デマや虚偽の事実ではそうはならないはずです。その点で、問
題小説は、明らかに事実をねじ曲げ虚像のてんかん像の上に作られたも
ので、それが文学論たりうるのか疑問を呈さざるを得ません。
第二には、小説が書かれる過程や小説そのものの中で、人や自分を世
界の中で傷つけることと、その小説を教材として使うことによって、て
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07月08日(木)
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