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与太郎文庫
by 与太郎
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■ レコード・サロン 〜 Paper Concert 〜
《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番〜第5楽章:シャコンヌ》を聴く
わけですが、京都時間という通例もあって、原曲どおりヴァイオリン独
奏をグリュミオーで、ギター編曲をセゴビアで、ふたとおり聴くことに
いたします。
原曲以外の楽器のための編曲は、いろいろ議論のあるところですが、
世紀のギタリストが、精魂こめて、執拗にバッハに迫る力演として、あ
るいは、これがおなじ楽譜から生れた音楽か、という驚きとともに、傾
聴したいものです。
シャコンヌという形式は、単純な低音の動機をくりかえして、この曲
では実に30通りの変奏を展開するものです。バッソ・オスティナート、
「執拗バス」と訳される手法の、綿密な労作です。
つぎに、18世紀の大ピアニスト、リスト(1811〜1886)が、ほぼ同時
代の大ヴァイオリニスト、パガニーニ(1782〜1840)の主題を借りて、
異なる楽器の技巧を、そっくり移しかえた《パガニーニ大練習曲》から、
2曲聴いてみましょう。
《〜第3曲:ラ・カンパネラ》は、《ヴァイオリン協奏曲第2番》の
終楽章をピアノ独奏に編曲したものです。鐘の音を模して、かがやかし
い高音が、縦横に飛びかいます。褐色の青年ピアニスト、アンドレ・ワ
ッツが、端正に、しかも力づよく叩きあげます。つづく《〜第6曲:変
奏曲》の主題は、ラフマニノフやブラームスも借用におよんで、それぞ
れ三者三様に成功しております。いったい、この簡単で短い動機が、な
ぜ、かくも彼らを魅了したのでしょうか。
しばしば努力型の天才、と呼ばれるベートーヴェン(1770〜1827)の
場合、聴衆に対する迎合、つまりは器用な思いつきなど、望むべくもあ
りませんが、持続と反復に関するかぎり、欠かせない玄妙な舞曲があり
ます。
「イ短調のアレグレット」というだけで通用する《交響曲第7番〜第
2楽章》がそれです。イッセルシュテットの入念なテンポと、ウィーン
・フィルの豊穣なひびきは、今宵の白眉となるはずです。
この曲が初演のとき、この楽章が二度もアンコールされたそうですが、
聴衆は気にいった音楽なら、何度でもつづけて聴くようです。ところで、
演奏者が興に乗って、いつまでも奏きつづけることもないではありませ
ん。
インドの音楽が、いまなお、その面影を伝えています。しかし、がん
らい音楽とは、そういうものではなかったか、と思われます。
インド音楽を、今日の国際的普及に至らしめたシタール奏者ラヴィ・
シャンカールが、ユダヤ人のヴァイオリニスト、メニューインとの二重
奏のために書いた《ラーガ・ピールー》です。レコード録音でさえなけ
れば、両者のかけあいは、いつまでも終りそうにない白熱が感じられま
す。
さながら時計の振り子のごとく、で考えられるのは、スウィング・ジ
ャズ、はたまた不死鳥の感もあるロックン・ロールです。ここでは、ジ
ャズ・フルートのハービー・マンが登場します。ワン・コードによる、
きわめて簡潔なモダニズムの自作《メンフィス・アンダーグラウンド》
が、さりげなく始まり、そして終ります。
ベートーヴェンの後継者として、それぞれ自認しながら、ワーグナー
(1813〜1883)が交響曲というジャンルを捨てたのに対して、ブラーム
ス(1833〜1897)は、執拗にその世界にとどまりました。おまけに 150
年も前にバッハが完成した、厳格な古典的書法についても、もういちど
試みるわけです。彼の最後のシンフォニー《交響曲第4番〜第4楽章》
にシャコンヌが用いられています。いうなれば音楽的論理の究まるとこ
ろ、頑固な真実の世界です。ヴァン・ベイヌム指揮のアムステルダム・
コンセルトヘボウ管弦楽団が、31回の変奏と結尾を決然とたどります。
ものなれた聴衆にとって、素材であるところのリズムやメロディ、あ
るいはハーモニーが、個々にどれほど魅力的であっても、それだけでは、
あっと驚くことにはなりません。
「よい形式の、唯一のテストは興味の連続することである」とつねに
いっていた作曲家が、ラヴェル(1875〜1937)、そして、「今までだれ
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07月08日(木)
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