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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 絵空事 〜 ダゲール以後の画家たち 〜
何時間も眺めつづけた。たいがいの大人は振りかえって、こうたずねる。
「きみは、絵が好きかい?」
与太郎がうなずくと、絵の描き方を教えてくれることもあった。
「油絵は、部分々々を完成しながら描いていく。水彩画は、ひろい部分
から塗りはじめて、いつも全体が仕上がるように描きすすめるんだ」
やや年上の少女は、何時間たっても、ついに振りかえらなかった。
のちに与太郎が、道端で写生するようになり、背後に人だかりがした
気配に振りかえると、あの少女が、無表情に覗きこんでいた。
このときの油彩画《坂の家 1949 F6》は、暗くて気にいらなかったが、
何かのコンクールで賞をもらった。それ以来、与太郎が道端で写生する
ときは、誰かに声をかけられるための方便となった。
◇
芸の習い事は六歳六月六日に始めると、上達が早いなどという。
それなら陰暦の数え年で、一歳一月一日から十二歳十二月十二日まで、
十二通りの“よき事始め”がなければならない。
陰暦の数え年で、一歳一月一日が存在するには、その人が一月一日に
生まれていなければならない。ただし、その年に閏一月一日が挿入され
ていれば、正一月生れの人たちだけにチャンスがあることになる。
三月三日と五月五日は、よく知られた節句であるが、ほとんど太陽暦
の日付で祝われている。中国では(陰暦陽暦ともに)とくに九月九日を
“重陽節”と称している。麻雀牌の最大値だからか?
…… 中学も、割に自由な絵の学校を選んだんですわ。しかし市立です
し、絵の試験もあるから結構難しかったんですよ。そしたら、近所にお
られた日本画家の先生の息子さんが同級生で、よう遊びに行ってたら、
ある日先生の奥様が「七五三ちゃん、美術学校受けるそうやけど、あの
な、伏見人形の鳩の絵を勉強しときや」と。/それが問題に出ましてん。
── 茂山 千作《家の履歴書 19991118 週刊文春》P166-7
実用性を失った技術は、芸術性という怪しげな目的に向っていく。
彼らは徒党を組んで、組織の名において存在を主張することになる。
何を学んだかではなく、誰に教わったかが重要になる。
さらに、誰に教わったたかではなく、どこで学んだかが重要になる。
美術学校の古い順(創設年代)に自慢する風潮が、合格倍率の高い順
になり、いまでは学生数の多い順に変ったようである。
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06月06日(火)
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