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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 深窓の真相
 このときの楽器紹介で、彼女が一節弾いたのが《雨の庭》である。
 同志社中学高校から女子大学音楽学部に進んで、そのまま教職につく。
同志社女子中学高校の音楽教諭となったらしい。

 NHKプロデューサーの阿満利麿(現=明治学院大学国際学部教授)
氏と河原町を歩きながら、つぎの教育番組の司会者は、どんなタイプの
女性が望ましいか、というような雑談をしていた。このとき、女子大生
だった彼女に出会ったのである。
「阿満さん、さっきの話ですが、いま通りすぎた娘は、どうですか?」
「きみに会釈していった女性かい?」
「そうです、高校時代の後輩で、ピアノが弾けるし、歌もうたえます」
「いいじゃないか。きみの知りあいなら、話してみてくれないか」
 その夜すぐに電話すると、彼女はしばらく考えてから、こう答えた。
「わたし、いまとてもピアノを大切にしてるんです。将来も、ピアノの
お仕事ができるかどうかわかりませんが、できるだけ頑張ってみたいん
です。こんどのお仕事をお受けするには、ピアノの時間を減らすことに
なるかもしれないのが心配です。あとになって(そのお仕事をしてみた
かったと)後悔するかもしれませんが、いまの気持ちは、ピアノに決め
ておきたいのです」
「そうか、わかったよ。がんばりなさい」
 せっかくの話だったが、彼女も心をこめて答えてくれたのだ。
 そのまま伝えると、阿満さんも残念そうだった。
「きみが推薦するだけあって、しっかりしてるね」

 与太郎は、あるいは彼女が思いなおすかもしれないと考えて、阿満氏
が有能で、京都放送局きっての紳士であることを手紙で書きおくったが、
返事はなかった。
 何年かたって、与太郎は「ロンパー・ルーム」という子供番組をみて、
うつみ・みどり(現=うつみ・宮土理)というタレントの存在を知る。
 やれやれ、深窓の令嬢はテレビなんか出なくてよかった。
 うっかり人気が出たりして、変なオジサン(愛川欣也)なんかと結婚
したりしなくてよかった。“ケロンパ&キンキン”夫婦はともかくも、
バラエティ番組などで、チャラチャラしゃべる姿は想像したくない。

 与太郎のパソコンでは、彼女の消息は同志社女子中高音楽教諭になる
あたりで途切れている。つまり、結婚したかどうかも分らない。すると
彼女が、革島香の母だとすれば、ムコどのでも迎えたのだろうか?
 与太郎の同期生に、同姓の革島八重子嬢(三歳上の親戚か)がいて、
どちらも世代的には合うが、あまり似ていない。

 いかに革島嬢が“深窓の令嬢”であるか、つぎのエピソードが語る。
 かつて自家用車を持っていたのは医師である。大病院の院長クラスは
運転手つきの外車だったが、中小医院の院長が自分で運転しはじめたの
は昭和三十年代の“マイカー・ブーム”第一世代である。
 革島嬢の父、革島史良院長はその“はしり”でもあった。
 世の中の動きにつれ、すすめられるままにフランスの小型車ルノーを
買った。もちろん免許取りたての、ホヤホヤである。
 父上は、麩屋町六角の自宅を出発して、南に向い、四条通りに出た。
 四十五年前とはいえ、いまもむかしも京都いちばんの交通量である。
 当時は信号などなかったので、父上は慎重に左右を確認した。よし、
右からやってくるトラックが行きすぎたら、交差点を渡ろう。すると、
またしても左からタクシーがやってきた。よろしい、さらに慎重にやり
過ごして、ふたたび右を見ると市電が走ってくる。うーむ、これにも先
を譲って、左をみると三輪車がやってくる。右にはリヤカーも見える。
 というような次第で、父上が慎重であるほどに、やがて日が暮れて、
「今日はアブナイから明日にしよう」と決断して、自宅に戻ったという。
 あくまで伝説であるから、与太郎もすべて信じているわけではないが、
だれもが「さもあらん」と一様にうなづくのである。
(20030122)

01月22日(水)
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