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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 幻の《弦楽技法》 〜 未投函書簡より 〜
うまく弾けたりすることがあり、ドキリとしながらもう一度やってみる
と、単なる偶然だったことがわかる。ヘボ将棋とおなじで、そんなこと
のくりかえしがアマチュアの特権らしい。
 一年前だったか、NHKの秘蔵録画でオイストラフを聴いたときには、
かつてのLPレコード全盛期を思い出し、あらためて感動した。とくに
チャイコフスキーの協奏曲は、彼だけが屹立して格調たかい。実演でも
おなじように演奏していたことが驚異であった。
 こうした名演奏は、録画したりCDを買ってはいけない。毎日きいて
もあきないから、ほかのことが考えられなくなる。
 
 それにしても、レコード評論家という商売は、ボクのみるところ謎に
みちている。食味評論家とおなじで、まいにち朝昼晩うまいものばかり
食って、なにが面白いのだろう。空腹と粗食こそが、鋭敏な味覚を育て
るように、あるいは恋する人に逢わないことが崇高な感情にいたるので
はないか。
 一軒目の酒場で、さんざん嫌われ、「河岸を替えよう」と叫びながら
二軒目の酒場にたどりつくや、さきの店のママやホステスの悪口をいい
ふらすような助平どもと、ちっとも変らんではないか(酒とバラの日々
の記憶は、ボクにも無いわけではないが)。
 
 高校時代のボクは、通学途上の名曲喫茶にあるレコードは、針が落ち
ると同時に、演奏者を当てることができた。はじめて聴いたものでも、
数分のうちに曲名と演奏家を推定できた。さらに、十字屋の本棚にある
楽譜や書籍は、ほとんど目を通していた。
 読み物として面白かったのは、近衛秀麿《フィルハーモニー雑記》で、
たとえば、若き日の著者がベルリン・フィルの練習のあいまに日本から
きた手紙を読んでいると、楽員があつまってきて指さして笑っている。
何が可笑しいかというと、文字がタテにならんでいるからだという。
 のちに、もうすこしで著者に会うところだったが、その時には尋ねて
みようと思ったのは、当時アラビア人の楽員がいたら、みんな笑ったか
どうか(アラビア語は右から左に書かれているらしい)。
 
 まじめな音楽書には、まるで面白いものがなかった。
 《指揮法》《管弦楽法》《作曲法》には関心があったが、いまひとつ
大仰で大上段にふりかぶったものばかりだった。十数年後、芥川也寸志
《音楽の基礎/岩波新書》はよくできていて、あのころに読んでいたら、
ずいぶん参考になったのではないか。
 結局、自分で勉強法を工夫することにして、ドヴォルザーク《新世界
交響曲・第二楽章》序奏部を、ピアノ・スコアに直すことを思いついた。
 
 これをどうするというわけではないが、木管・金管の移調楽器が錯綜
しているので、なるほどかくしてあのような和声がわきあがってくるの
か、というイメージが理解できた。
 おなじ趣向のものに、ベートーヴェン《コリオラン序曲》があって、
チェロの分散和音が意味ありげにみえる。しかるに、レコードで聴くと
ガサゴソ鳴ってるだけで、譜面の印象にはほど遠いのが不思議である。
全体にまとまりがなくて、駄作らしい。
 これを三十数年後に、ウィーン・フィルの就任披露演奏会だったか、
リッカルド・ムーティとかいう指揮者で聴いて「これだ!」と思った。
ほとんど最近の音楽家は知らないが、この指揮者は、なにしろ目付きが
ちがうのである。おまけに、にくらしいばかりの斬新なプログラムで、
まずは《未完成交響楽》ではじまったのである。二番目の曲は思い出せ
ないが、たぶんコンチェルト風の小品で、最後に《コリオラン序曲》を
もってきたものだ。このあと、アンコールなどやらず、プッツリ終れば、
さらに感動したはずだが、さすがに経営者が許さなかったとみえる。
 その夜、なにげなくチャンネルを回したところ、なかなかの《未完成》
であって、どことなく凄みが感じられる。
 そこで新聞をみると、最後に《コリオラン》とある。一種の誤植だな、
と解釈して聴いているうちに、だんだん引きこまれていく。なにしろ、
目付きがするどいのである。待てよ、ひょっとすると彼は意図してこの

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01月15日(水)
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