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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 士月〇日の露と霜
暦旧暦が交叉する十四日間 (1019J1101G〜1025J1107G〜1101J1114G)
に全編の構図がある。
 原注に、日付は「新暦に統一」とあり、訳注「日本も明治五年以降
用いる」は明治六年(18721220J/18730101G) が正しい。ロシア史の文
献は、新旧併記をはじめ、革命以前を旧暦に以後新暦とするものから
改暦告示(0126J0208G)と実施(0201J0214G)の混同など、しばしば不整
合である。
 新暦で抄訳した保田孝一《ニコライ二世の日記19900620朝日選書》
の例をみると、大津事件(18910429J明治240511G)一週間後「五月十八
日(月曜日)こうして私は日本で二十三歳になった」ついで最後の誕
生日には世紀が変って、一日ずれている。
「五月十九日(土曜日)四十九歳になった。五十も間近だ」
しかるに満五十歳を迎えることなく一家七人は銃殺された。
 その数日前(0630J0713G)に、最後の皇帝 (18680506J0518G〜1918
0704J0717G0716?)は「死せる暦」最後の日付を誌す。
 ひそかに消息を断ち、死亡欄に登場せずデータベースに生きつづけ
る例もある。
 漁業次官から共産党書記にいたる経歴のルサコフ ( Konstantin V.
19090931〜 )は、読売年鑑《分野別人名録1985〜1989版》に掲載され
ていたが、高令引退のために削除されたとみられる。
 誤植にしても奇妙な誕生日なので、出典(International Who`s Who,
Vol.50,London)を問いあわせたところ、年鑑局情報調査部の推理によ
れば、ロシア暦「九月十八日」に十三日を単純に加えた「十月〇日」
だが他の資料に十二月三十一日など諸説あって特定できないという。
年月日の誤植は左右転倒 (レーニンの命日 0121/0112) など、頻度の
たかいケースに、それなりの法則性がうかがわれる。  (19920727)
 
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↓《ルサコフ 〜 九月三十一日生れ 〜》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19871001

11月07日(土)
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