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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 八月十五日の熱月抄
んだというが戦場の発想にしては周到すぎるのである。
 旧体制から外務大臣となったタレーラン( T-Perigord,17540213 〜
18380517 ) はメートル法による国際統一を提唱した結果ついに英米の
ヤード・ポンドを出しぬいている。この先見性と外交手腕が、フランス
の工業経済を今日まで支えるのである。
 地球の円周の四千万分の一を長さの単位とする「十進法」の度量衡規
格は、時刻にも適用された。つまり《革命暦》の一日は十時間であり、
一時間は百分、一分は百秒となる。さすがに、この時法は手にあまり、
皇帝となったナポレオンがローマ教皇との和解をかねて《革命暦》とも
に放棄する。
 その最後の日付はあいまいで、共和紀元14雪月0410F/18051231G 文化2
1111 または14実月12+5F/18060921G 文化30810 実情はなしくずしという
ところか。
 もと徴税請負人の前歴で、ラヴォアジェ( 17430826〜17940508G 共和2
花月0819F)は処刑されるまでの九カ月間、度量衡委員として、獄中から
実験室に通いつづけた。
「質量保存の法則」はじめ「生体熱は呼吸の緩慢な燃焼による」など、
いずれも霊魂の不在を立証する成果である。ギロチンで首と胴がはなれ
ても、その業績の質と量は不滅だが、革命裁判は「共和制に学者は無用」
と判決、民衆も血祭を楽しんだ。
 軍人が皇帝になるという俗物趣味の中で「人権宣言」や「法典」を編
みだすという矛盾の頂点に、英雄は君臨したのである。
 矛盾に目をふせた英雄は存在しない。
 阿南惟幾 ( 18870221 〜 19450815 ) は最後の御前会議でも戦争継続
をとなえた。陸軍大臣として、部下のクーデター計画を知りながら、割
腹の儀式を選んだ。遺書の「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」とは、矛盾に屈
した無念の独白である。                (19920425)

08月15日(土)
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