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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 七月四日の米日列伝
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920704
かつて出生日のわからないアメリカ移民は、独立記念日を誕生日と称
したという。この日付の生没人名録だけで、アメリカの歴史を追ってい
くと、コロンブスが五百年前に目ざした「ジパング」にたどりつく。
もっとも健全で、もっともポピュラーなアメリカン・ソングの数々は、
アメリカの病根ともいうべきアルコール中毒のために不慮の死をとげた
ステファン・コリンズ・フォスター ( 18260704 〜 18640113 ) の作詞
作曲による。
《おおスザンナ》《スワニー》、黒塗りの白人楽団のために書かれた
《オールド・ブラック・ジョー》など、百七十五曲から百八十八曲にお
よぶ。
彼が生れたのは、独立五十周年の記念すべき火曜日、この日の午前
「独立宣言文」の起草者でもあった第三代大統領トマス・ジェファソン
( 17430402J 〜 18260704G )つづいて午後に、第二代ジョン・アダムズ
( 17351020J 〜 18260704G )が亡くなる。五年後には、第五代ジェーム
ス・モンロー( 17580428G 〜 18310704G 月)が没して四十一年のち第三
十代ジョン・クーリッジ( 18720704G 木 〜 19330105G )が生れる。
この日付の生没人名録だけで、アメリカの歴史をたどることも不可能
ではない。
清教徒の罪と罰を論じた、ナザニエル・ホーソーン ( 18040704 月〜
18640519 )の長編《緋文字》がある。
オーストリアに生れウィーン大学で法哲学を講じていたフェリックス
・カウフマン ( 18950704 木〜 19491223 ) の亡命は、頭脳流出の先例
(1936) にあたる。
サッチモ(がまぐち)の名で親しまれた「ジャズの王様」ルイ・アー
ムストロング ( 19000704 水〜 19710706 ) の出現は、すべてのアメリ
カ人にとっても、まさしく《聖者が街にやってきた》のである。
独立当初のアメリカは十三州から成り、成人男子人口が五千人に達す
れば「準州」として自治が認められ、六万人に達した順で現在の五十州
にいたる。アメリカで生れた者が、ほとんど無条件でアメリカ国籍を得
ることができるのは、この伝統による。
ユダヤ系ギャングのボス、暗黒街随一の紳士マイヤー・ランスキー
( 19010704 木 〜 198301.. ) も「自分の誕生日を知らなかったのでエ
リス島の役人はアメリカ独立記念日の七月四日生れとした」(常磐新平
《エスニック・パップ》198811岩波図書)
かくのごとく好ましからざる連中も大手をふって登場してはいるが、
ライオネル・トリリング ( 19050704 火 〜 19751107 )の文芸批評《誠
実と本物》から想像されるような品格ある人々も存在する。
不敗の大国アメリカは、むしろ戦勝後に矛盾を露呈しはじめる。
アメリカ生れの日系娘が、日本の祖母を訪れた年に日米が開戦、帰国
できないまま対米放送のアナウンサーに起用された。
戦後結婚してポルトガル国籍のアイバ・ダキノを名乗っていた「東京
ローズ」こと戸栗郁子 ( 19160704 火〜 )は、甘い声で米軍の士気を低
下させたという「反逆罪」によって投獄、米国市民権を剥奪された。
自由と平等にかがやく「独立記念日」にアメリカの刑務所は、死刑囚
にいたるまでアイスクリームを配給する。大統領特赦が下ったとき、彼
女は六十才を過ぎていた。
ブロンド女優エヴァ・マリー・セイント( 1922 火 1929 木 1924/1930
0704 金 〜 )の生年諸説は、アカデミー助演賞をとった《波止場 1954 》
がデビューであり、主役マーロン・ブランド( 19240403 〜 )から《北々
西に進路を取れ 1959 》ケーリー・グラント( 19040118 〜 19861129 )
との年令差に大学出であることを考慮すると、ますますミスティリアス
である。
ブロードウェイの作家ニール・サイモン ( 19270704 月〜 )は、抱腹
絶倒のギャグ映画《おかしな二人》シリーズを通じて、騒々しいアメリ
カ市民を描きつづける。
フランス映画《夜ごとの美女》などの、ナポリ生れの女優ジーナ・ロ
ロブリジーダ(19270704 月 〜 )は、アメリカに帰化してカメラマンに
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07月04日(土)
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