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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 五月五日の再発見
遠州忌」と明快に答えたとは信じられない。
 むしろ上野氏が、早合点して通訳したと解釈すれば、このとき、ブル
ーノ・タウト( Bruno Taut,18800504 〜 19381224 ) が「誕生日と命日
の連続」に感動して、真紅の花を献じたのではないか。
 上野伊三郎( ?〜 19720523 行年七十九才)は、当時四十二才の群馬県
工芸所長であり顧問教授のタウトと寝食をともに同行して「夜の大音楽
家」と呼ばれた“いびき”の達人である。この場におよんで墓誌の日付
「二月六日」を読みとったとしても、訂正を告げることはむずかしい。
 さらに、当時三十一才の第十六代庵主、小堀明堂( 〜 19861103 行年
八十三才)がドイツ人と通訳の勘ちがいに気づいたとしても、初対面の
茶席とあって、つつましく話題を転じたのではないか。
 書斎の発見も、微笑にとどめるのが作法のようだが、京都・紫野の孤
蓬庵に電話でたずねてみると、紫の幔幕は「茶会の印」であって、法要
には用いないそうである。「追善の茶会」は、東京では三月六日に、京
都では五月六日を恒例とする。その前日に「茶会」が営まれることはあ
るらしい。
「利休忌」同様、京の冬が寒すぎるために遠来の客人への配慮である。
 初版の奥付 ( 19390628 岩波新書)も、翻訳者の篠田英雄 (18970627
〜19891226 )四十二才の誕生日の翌日にあたるが、その半年前に亡命先
のトルコで客死した著者はもとより、初訳者( 服部幾三郎? 〜 )も編集
者も出版社も、さらに読者も「遠州忌の矛盾」を発見しないまま五十年
を越えて読みつがれているのである。          (19911217)
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05月05日(火)
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