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与太郎文庫
by 与太郎
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■ Do! series
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 この百年間に、日本人は史上空前の文字文明を持つ民族となりました。
数だけでなく、種類も多すぎるのです。おまけに、新聞雑誌では、タテ
書きヨコ書きが併用され、前者は左送り、後者は右送り、というふうに
奇妙なルールが雑居しています。
 写真植字機の開発によって、変形レンズが普及し、変形文字が登場し
てからは、誰もが当然のように眺め、判読できるようになってしまいま
した。ひとつの字母を、平体・長体・斜体それぞれに変形させると、実
に600種類に及びます。
 中国では“国を滅ぼすもの”として漢字の追放が唱えられてから、約
90年たちました。
 倉石 武四郎著 岩波新書《漢字の運命》では中国の識者との問答が示
されています。
── わたくしは「漢字は将来どうなりますか」とたずねた。郭さんは
即坐に「永遠に保存される」とこたえられた。わたくしはかさねて「ど
こで保存されますか」とたずねると、郭さんは「博物館で」とこたえら
れた──。
 近年の中国はローマ字を採用して、いわば言語革命を迎えています。
わが国が、漢字の博物館になるとしても、よほど先のことではないかと
思われます。
 現代邦字にとって、漢字の占める位置は、たしかに重要ではあるので
すが、漢字と運命をともにするものではありません。漢字以外の文字も
多すぎるのです。
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── 倉石 武四郎《漢字の運命 19520410-19730710 岩波新書》P189
 
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 立場を変えて考えると、漢字かなまじり文の時代から、漢字・仮名・
英数字・記号・略字が必要に応じて、混然と同居しているのが実状です。
 なぜ、雑然としているか、といえば、書体の不統一が原因です。
 漢字と仮名、ローマ字とアラビア数字(実はインドが起源)のように、
民族や歴史文明の異なる背景で生れたものを、同一の書体でデザインす
ることは、きわめて困難なのです。
 その作業を、たったひとりで試みた最初の人が、写真植字機の発明者
でもある石井茂吉翁なのです。
 
 石井書体
 
 現代の日本で、私たちが目にする文字は、その半数以上が、ひとりの
筆によって描かれています。
 たとえば新聞の場合は、各社それぞれ専用活字があり、専属の文字デ
ザイナーによって管理されますので、石井書体が用いられることはあり
ません。しかし、全紙面の1/2まで許されている広告に関するかぎり、
まさに君臨しています。
 厳密な統計はなさそうですが、写真植字機による文字組みは、約20年
間にあらゆる印刷物に進出し、とりわけ石井明朝のもつ独特の優美な曲
線が与えた影響は、すべての活字とすべての書体におよんでいます。
 試みに、手もとの印刷物、辞書、さらにはテレビ画面など、どれをと
りあげても、同じことが証明されます。
 石井書体の意義は、写植というメカニズムとともに生れ、活版からオ
フセット印刷への移行期に、まるで申し子のような成長をとげたことに
あります。
 石井書体の、もうひとつの意義は、起源の異なる各種の文字体系を、
ひとりの美的感性で見事に統一したことでもあります。
 石井茂吉が、書家あるいは活字デザイナー出身でなく、戦前のエリー
トとして帝国大学卒業のエンジニアであったことからも、ある特徴が読
みとれます。すなわち、漢籍に対する日本人としての造詣を備えたのち
に、欧米の科学技術を学んだ点です。
 彼の美的感性とは、それぞれの文字の起源に深い理解を示しながら、
あらゆる組合せでも整然と配置されるような、一種の理想主義にもとず
いています。
 せいぜい26文字、百種あまりの文字体系で事たりうる欧米人には考え
られない、全体的な様式観がうかがわれます。
 その背後にあるものは、印刷物、すなわち知識の根源となるべき書物
への信仰でした。彼にとって、もっとも価値あるべきもの……書物=印

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09月15日(月)
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