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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 英対話 〜 門脇 邦夫とその意見 〜
「対手がどんどん話しかけてきたら、どうします。こちらに尋ねるこ
とがなくても、それが重要な内容かどうか、を聞きわける必要があるで
しょう」
「ははあ、そのあたりから私には絶望的ですな」
「ふつう中学校から英語を勉強しはじめて出来るできないに関係なく、
十年たったから知識が減ってしまうことはありません。カタカナの外来
語も欠かせない有力な武器です」
「何というか、シャクな気はしますね」
私は捨てゼリフを吐いたものの、その年は十字屋楽器店の月刊PR誌
《アルペジオ》の制作を負って、同時にインタビュアーも兼ねていたの
で、後半に米・英・独の順に、各国文化センター館長との対談を控えて
いた。
協力者としての門脇氏に、私は全幅の信頼をあずけていたものの、私
自身に荷の重い企画ではなかったか、と怖れた。
日時の打ちあわせから一切を、彼が仕切ってくれ、当日の私は、ひと
ことかふたことづつ、日本語をつぶやくだけでよかった。
ただし、話しことばから書きことば、への移行にあたっては、無理を
いって彼に、平均十数時間のディスカッションをつきあってもらった。
さらに他国語とのニュアンス、リズムの統一に、私なりの意図があった
のだが、彼の熱心な協力ぶりは、筆舌に尽きない。
「日本語の発想は、外国人にとって、きわめて特殊です。用件だけを
やりとりするとかイエスかノーかを伝えるだけなら、ことは簡単です。
しかし意見を通じること、一般的な雑談などが実はいちばんむずかしい
のです」
といって私を励ましてくれた。たしかに、イエスかノーだけでは、回
答であっても見解ではない。この場合の対手は、いずれも豊富な話題と、
洗練された話術のベテランであったし、とくに言語学者のハモールスキ
ー氏に至っては、私の草稿の英訳を要求したほどに厳格であった。それ
でも門脇氏はタイプライターに向いながら、
「外国語の試練は、とりもなおさず母国語の探求に通じますからね」
と屈託なかった。
その後の彼は、英語に関するあらゆる仕事を、ひとつづつ丹念に取り
くみ、着実にその目標に迫っている気配がうかがわれた。数社の英語顧
問を兼ね、事務机にあっては翻訳に専念するうち、この四月に《北英会
話教室》を開設した。来年夏には生徒を引率してグアム島に修学旅行す
るという。 (有人総目録 KK00101 この項未完)
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N君は、NHK総務部に勤務する西畑 綾夫君、《アルペジオ》の音楽
番組表の情報源でもあった。T君は、田村 忠彦君、キャセイ航空に勤務。
ミセス・ジェーン・K・アバナシーは、日本の土産品などの輸入と、
バカンスのため定期的に来日するという。有名なニューヨーク大停電の
ジョークは、この日はじめて彼女から聞いた。アメリカ人が、それぞれ
に小噺をストックしていることを確認した。
田村君は、デボラ・カーのような美人と評したが、むしろイーデス・
ハンソンのような知的女性である。
→ 門脇 邦夫氏の近況は、1969年10月09日(木) 一聴一席F 脚注参照
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kkjglkec/
→ 田村 忠彦君の近況は、2003年03月19日(水) 《エアライニーズ》
http://www.doshishanet.com/colum.htm
◆ 一聴一席 〜 弦楽四重奏談 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700116 ケンプ《ふるさとドイツ》ドイツ文化センター
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691209 マーティン《My Chin》英国文化センター
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691009 ハモールスキー《Way of Thinking》アメリカ文化センター
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690904 ショーム《異国の楽の音》日仏文化センター
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690815 ケリー《和洋折衷の館》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690626 清水 六兵衛《清水焼・開窯200年》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690519 高山 義三《京響・昨日今日》
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09月01日(水)
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