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与太郎文庫
by 与太郎
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■ プレイバック
らなくても誰かが引受けなきゃならない 僕たちの世代ってのは否でも
応でもそういうことを引受けなければならない そういう世代に属して
いると思う 京響と僕の関係だけでなくても だから僕はできるだけの
ことはしておこうという風に思ってる
── (於・十字屋ミュージック・サロン)
 
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 レコード・ラジオ・テレビの三代、そして
音楽を渡す人・聴く人・聴かせる人。
 
 クルト・リース《レコードの文化史》
 
 1929年の初め、レコード業界には楽観論がみなぎり、この楽観論は完
全に裏書きされたかにみえた。RCAはヴィクター・カンパニーをジョ
ンソンの売却先の銀行から買いとり、ジョンソンは、しばらくまえから
の懸念があたって、かれの生涯をかけた事業が不倶戴天の敵ラジオ事業
の手に渡っていくのを見た。
 あのように心をこめて築きあげたキャムデン工場が蓄音機にかわって
ラジオを製作するのを、ジョンソンは苦々しく、いや、憤激しながら見
ていなければならなかった。めったに口を開かなかったかれがここにい
たって「断じて売るべきではなかった…」と語るのであった。……たし
かに、ラジオの勢いをとめることはできなかった。アメリカで、1922年
に6000ドルだったラジオの売上げが、4年後の1926年には5億 600ドル
になり、1929年には8億4254800ドルにふえた。つまり、7年間に売上げ
が1400%増加したのである。
 しかし、このかんに、ラジオがレコードの(死)を意味しないという
こともわかった。人々はこれかあれかではなくて、これもあれも楽しみ
たいと望んだのである。
── Riess,Curt/佐藤 牧夫・訳《レコードの文化史 19690110 音楽之友社》P309,312
 
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 串田 孫一《音楽とのめぐりあい》
 
 たとえば、その数は多いか少いかわからないが、音楽に関して大変に
詳しい人である。その詳しさは、音楽の専門家、つまり演奏者ではなし
に、音楽研究家たちが、どんな質問をしても、即座にどんどんと答えら
れるのではないかと思うほどに、知識をたくさん持っている。こういう
知識を仕入れるのには本もたくさんあるし、番組をきちんと見て音楽の
放送をきいているだけで十分である。……
 若い人たちと言ってもさまざまの性格の人がいて、ほかの勉強をしな
がら、楽器を携えて、専門家に肉迫して行く人もいるし、自己流に、音
を出して、楽しんでいる人もいる。またレコードや、再生装置に詳しく、
その方にお金をそそぎ込んで熱中している人の数も多い……ところが、
もうひとつ別の音楽好きのことを忘れてはならない。この人たちは、レ
コードも持たず、特に再生装置をほしがることもない。FMを受信でき
る小型のラジオぐらいで、放送される音楽をたっぷりきいているが、あ
まりしゃべらないのでわからない。ところが意外にこういう人の中にそ
の受け取り方は素朴だと言われるかも知れないが、静かな感動をひそか
に喜びつつ、音楽をきいている人がある。
── (FM fan 1968・1・1 )
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 串田孫一氏の対談《音楽と人生》は、もともと与太郎の公開インタビ
ューとして企画されていた。そのことを主催者の田中義雄が小石忠男氏
との会食中に雑談のつもりで切りだしたところ、小石氏はてっきり自分
のための企画と思いこんで、内ポケットから手帳を取出してしまったの
で、同席者一同、顔を見合わせながら変更することになった。
 
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 団 伊玖麿・丹羽 正明《音楽家よ自信をもって》
 
丹羽 その“題名のない音楽会”じゃなくてテレビで“ポップス・コン
サート”をしているけど、どんなつもりで始めたのですか。
団 僕は大変オーケストラが好きでしてね。ところがテレビからだんだ

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03月05日(木)
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