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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 《音楽100年表》解題
■ 日本流行歌謡年表について
いつの時代にも大衆の音楽・流行歌のたぐいはあるもの、といわれま
す。その中で、ラジオとレコードを中心に、歌われ広まった時期は、ご
く短かいのです。
きりつめていうと昭和のはじめから、28年テレビ放送開始までの、お
よそ四半世紀にすぎません。
これを仮に、ラジオ・レコード時代と呼ぶなら、わが国における戦前
・戦後という過渡期をすっぽりとつつんでいることに思いあたります。
独得の和風長短調ともいうべき音階に乗って、歌は世につれ世は歌につ
れた唯一の時代でした。
それ以前の、流行歌謡の特徴は、音楽としてよりも、ことばの内容が
優先しています。ことばの優先ということは、口づてに歌いつがれ、語
りつがれるうち、都合によっては修正もされ、こんにちでは元歌と替歌
の判別ができないという現象もしばしば起っています。
替歌というものが、いきいきと、その面目を発揮するのは、むしろ、
ラジオ・レコード時代に入ってからのことです。つまり、何度もくりか
えし元歌が聴ける時代になると、替歌の種類もどんどん増えて、それな
りに洗練もされたことでした。逆に、発売禁止や自主規制による改作が
行われた場合には、あいかわらず元歌が愛唱される、という現象もあっ
たわけです。
テレビの出現は、たとえば、ピーナッツのような歌手像を生んでいま
す。坂本九にしても、ラジオ・レコード時代には今の人気は保証できな
いようです。仮にラジオ・レコードで発表されたとしてもヒットを確定
するのは、やはりテレビの役目でしょう。そして従来の和風短調によら
ない曲、カリプソ・リズムの《バナナ・ボート》アールコーオーの《上
を向いて歩こう》浪曲唱法の《王将》ララランランの《愛しちゃったの
よ》、バーラと歌う《バラが咲いた》、そしてついに、テレビにも迎合
しない奇妙なトリックの《帰ってきたヨッパライ》に至るまで、ヒット
の要因がまことに多様です。
テレビ時代という設定にもかかわらず、この年表では、その性格・傾
向が明らかではありません。あえて特徴をあげるならば、替歌のできる
いとまもないくらい多種多様の音楽が、それぞれの分野で量産され分散
しています。
コマーシャル・ソングやカラー・テレビの普及、ジューク・ボックス
やカー・ラジオ、ついにはトイレにまで流れるBGMなど、媒体の進歩
は、流行という概念をすでに変えています。かえりみるに、過去の流行
というものが、特定のパイプを通じていたのに、今やそのパイプの選択
も容易ではありません。
異なった音楽が、互いに影響しあって新しい何かが生れる、という仮
説だけで楽観できないのが現状かと思われます。
>>
フェントン/明治期のお雇い外国人。イギリス第10連隊第1大隊軍楽
隊長。アイルランド出身。慶応4年3月12日(18680404)来日、翌年か
らイギリス軍駐留地横浜において薩摩(鹿児島)藩士30名余に軍楽の指
導を始める。/明治9年以後海軍省・宮内省兼傭教師となって式部寮所
属の伶人たちににも洋楽を教えたが、1年間で解傭、アメリカへ向けて
離日した。日本での再就職希望の手紙をアメリカから日本に送るものの
希望は実現せず、1883年イギリス陸軍省海外居住者年金支給後の消息は
全く不明である。フェントンは明治時代最初期の日本における組織的
吹奏楽教育・指導に多大の貢献をなし、儀礼曲「君が代」も作曲した。
最初の妻アニー・マリアは横浜の外人墓地に眠る。
── 中村 洪介《朝日歴史人物事典 19941130 朝日新聞社》P1400
Fenton,John William 18280712 Ireland America 18...... ? /《君が代》編曲
滞日[1860-68] 海軍軍楽隊長アニー・マリア(横浜没)の夫/1883英陸軍年金支給後消息不明
Koussevitzky, Serge 18740726 Russia America 19510604 76 /ボストン交響楽団指揮
〜Bartok《管弦楽のための協奏曲》Natalieの夫
Bartok, Bela 作曲 18810325 Hungary 19450926 64
〜《管弦楽のための協奏曲》《無伴奏ソナタ》
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07月08日(月)
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