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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 卒業記念誌《煤t
お別れのことば 和田 万寿男 80
お別れのことば 山田 英二 80
編集あとがき 85
住所録 86
よせがき 0b & 90
(表紙・カット 阿波 雅敏) 0a
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卒業記念誌《 19570316 同志社高校三年F組》 88
発行
上田 堅一郎
編集
広森 美知子
笹谷 妙子
和田 万寿夫
山田 英二
印刷
阿波 雅敏
>>
新居にて 並河 純
わたくしごとで恐縮である。
昭和二十九年の二月といえばちょうど今度の卒業生諸君が入学する直
前だが、このとき妻の病気が発見されて──結婚後一年を経たところで
ある──その後三ヶ年わたくしは比叡山の麓の下宿で独り暮しを余儀な
くされた。学生時代から住みなれた北白川の住いをすてて、辺鄙なとこ
ろに移ったのは、世の刺戟をさけて淋しさをたえようとするつもりから
であった。しかし事実は志と反して、妻の病気の一進一退と、一時はか
なり憂慮すべき状態にまでなったことなどから、却ってわたしは、刺戟
を求めて生活と感情に混乱をきたすようになった。
不幸にして諸君はわたしのこんな時期に三ヶ年間の岩倉生活を始めら
れ、終えられることになったのである。いかにも諸君にとって、御迷惑
な話であった。わたしは、私生活の感情の起伏をできるだけ学級にもち
こまないように努めはしたが、以前のように生徒諸君の成長のリズムに
到底歩調をそろえることは不可能であった。加えて、それまでのわたし
の教壇生活数年間の経験は、教材の下調べや生徒諸君の指導方式にわた
しなりの一種の型をつくりあげていた。特別の手数を要せずして日常の
ことは果たし得た。愚かにして芭蕉の格言「初心忘るべからず」の意を
わすれてマンネリズムを来たしていた。
「初心忘るべからず」これは、本校のある先生が去られるときに言わ
れた言葉だが、再び、わたし自身の自戒のためと、諸君の卒業にはなむ
けしたい。わたしは嵯峨の新しい住いで、藁で灰をつくったり、ガス風
呂を爆発させたりしながら、ようやく病からのがれ得た妻を迎える準備
をしながら、四月からもう一度、初心にかえって教壇に立ちたいと念願
している。
ともあれ、卒業とは、何となく悲しく、何となく嬉しいものだ。わた
しの高校同窓の森川辰郎が、卒業にあたって詠んだ句が、最近、句集に
収めて出版された。
一歩一歩校庭の雪かたからず
雪の校庭わが曳く影を拒まざる
雪の夜の寮歌となりて宴果てぬ
雪の夜の寮歌の喉の嗄るるまで
自分たちの高校卒業時の感懐をふりかえって諸君の前途多幸を祈るこ
のごろである。
── 卒業記念誌《 19570316 同志社高校三年F組》P07-08
花森 安治《暮しの手帖》創刊 19111025 兵庫 19780114 66 /
並河 純 (なみかわ・じゅん)19260701 島根 19870519 60 /
森川 辰郎 1926‥‥ ── 《句文集・松江 1954 臼井書房》
下村 福 “フクちゃん”1923‥‥ 京都 19990205 76 /
── 下村 福《松籟・をさむ遺句集 2001 皓星社》
おなじ国語教諭で、大丸の次男だった“フクちゃん”こと下村福先生
にはかなわないが、並河先生も故郷では財界御曹司として、わがままに
育てられた“ボンボン”である。
ふだん苦虫を噛みつぶしたような表情だが、若の花が勝った翌日だけ
は機嫌がよくなる相撲ファンでもあった。
1955年春(最初の授業で)与太郎の姓=阿波を「アバ」と呼んだのは、
岡山県の阿波村(あばそん)に準じた記憶によるものか。ふつうは徳島
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03月16日(土)
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