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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 図書室便り 〜 読後感想文コンクール 〜
聞こえるから、そうは言うまい。というのは、この作品の進行と完成は
おぼつかないことを告白しないわけにいかないからである。新しく始め、
続け、完成する時が、もう一度来るかもしれない。そうなったら、私の
青春のあこがれは正しかったわけで、私はやはり詩人だったのである。
それは私にとって村会議員や石の堤防と同じくらいの、あるいはそれ以
上の値うちがあるだろう。しかし、すらりとしたレージー・ギルタナー
から哀れなボピーにいたるまで、なつかしいすべての人々の姿を含めて、
私の生涯の、過ぎ去りしはしたが、消え失せることのないものを、それ
はつぐなうに足りないだろう。
── ヘッセ/高橋 健二・訳《郷愁 19560831 新潮文庫》P185
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論説 図書部の方向 3C 河原 満夫
我々が、民主主義社会の一員として又一個の人間としてより高く、よ
り完全に生きようとする時、我々は必ず読書の必要を痛切に感ずるであ
ろう。
云うまでもなく、我国は憲法に主権が国民の一人々々にあることをう
たっている。すなわち、国民の一人々々が国を動かし、さらに世界を動
かし得るのである。こう考えてみると今更ながら、民主主義社会におけ
る個人の比重の大きい事と共に、個人の国家さらに人類全体に対する責
任の重大さに気付くのである。
今、世界は二つの陣営に分れて相争っている。高度に発達した自然科
学は、戦時において、もはや前線と銃後とのへだたりを完全になくして
しまった。人類の前には、今永遠の破滅と永遠の繁栄あるのみである。
どうすべきか、どちらをえらびとるべきか。これは、主権の存在する
我々国民の判断によってすべてが決定されるのである。
結局、民主主義の社会は個人々々の判断の上に成立しているのである
といえる。さらにほりさげて云うならば、民主主義は個人々々の思索の
上に成立しているということになろう。
私は、思索力を養い育てるものは書物であると思う。他に映画、テレ
ビ、ラジオ等ないではないが、書物に匹敵できるものは何一つないと私
は思う。
されば、我々一人々々が、書物を読むか読まないかは、只単にその人
の運命をかえるだけではない。人類の運命さえをもかえる可能性がある
と思う。
── 《図書室便り・第二号 19540701 同志社中学校図書委員会》
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編集後記 3E 吉田 肇
二学期に入ってやっと新館からの通路が開けた。投書箱や座談会にも
出ていた問題だったが、やっと願望がかなったと云う訳だ。三年生は十
分間の休みも図書室を大いに利用してほしい。
所で私はこれに関係して、一つの事を心配している。それは読書水準
の低下である。つまり利用すると云っても十分間ではさほどまとまった
物を見る訳にはいかぬ。だから雑誌等に少しだけ目を通す様な読書にな
るという事である。まあそれも教室でレスリングをするよりは良いだろ
うが、三年ともなれば一応まとまりのある物を読まれたい。又、六日連
日貸出しの新制度も大いに利用してほしい。
少しもどって夏休中の事だが、室内貸出はほとんどなく、わずかに二、
三人が利用しているのが見受けられる程度だった。又貸出票をくって見
ると驚いた事に、文学書、著名新刊書等の記載されているのは皆女子で
ある。男性はと云うと、講談社世界名作全集、探偵小説、今に日本の文
壇は全て女性に占められるのではないかとおそれている。男性よ、この
様な事が起らんように努力されん事を望む。人が読む書物はその人を左
右する。だから読書の選択は自由だが、良書はその人の人格を増し、く
だらん本(図書には無いと思はれるが)は益どころか時には害をもおよ
ぼすという事を理解してほしい。無論、ずいぶん熱心な人もおり、そう
云った人を見ると、こんな事を我々が書くのはあつかましいとも思う。
けれども、図書室で相撲を取っているやからを見ると、ついこんなこと
も云いたくなるのだ。
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10月06日(水)
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