ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
[1056840hit]

■ キリギリス 〜 アリガ来たりて 〜
 有賀誠一は、15歳の誕生日に、はじめて与太郎の家にやってきた。
 彼は図書委員で、与太郎は図書委員会のオブザーバーだった。
(図書委員長の河原満夫が、地歴部長を兼ねていたことによる)
 
 新聞部長だった与太郎は、毎日カメラをぶら下げて登校していた。
 最初は、生徒会長選挙の候補者で、同級生の生徒手帖に貼る写真も、
全員撮影した。ひとりづつ集金して、ほとんどポケットへ入れた。
 
 有賀くんの用件は、いま思うに明快そのものだった。
 職業科(仲原教諭)の夏休みの課題レポートを共同制作するために、
清水焼の浅見家を訪問するというアイデアだった。
 
 浅見家では、息子の同級生がカメラを持って取材に来るというのに、
ふだんどおりに対応された。京の旧家は、いまさら改まるには古すぎる。
 雅夫くんの父も弟子たちも、黙々と土を捏ねていたのである。
 
 最後に筆を与えられ、釉薬の上から、つぎの一首を書きこんだ。
 ♪われ男の子(をのこ)意気の子 名の子 つるぎの子 詩の子 恋の子
あゝもだえの子。雅敏かく ── 与謝野 鉄幹《紫 1901‥‥ 詩歌集》
 
 この茶碗は、結婚後まで保管され、日常的に用いていたが、いつしか
粗末にされ、なにかの拍子に割れて捨ててしまった。いま思うに、写真
でも撮っておけばよかったのだが。
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19980307
 祥瑞亭・開窯150年 〜 六代目・浅見 五郎助 〜
 
 ◆ エピローグ 〜 自転車で来た友 〜
 
 1961年、タヌキが自転車で京都から東京まで500キロを走ってきた。
 与太郎が下宿に帰ると、ふとんの中で眠りこけていたのである。
 背広を質に入れて、銀座でシネラマ(タイトル失念)を観せてやった。
 
── 昨日は シネラマから締めくくりの女の子に到るまで結構楽しか
った。本当にありがとう。(Let'19610522 from Kinoshita, Syouji)
 
 帝劇のシネラマ
 
19550105《これがシネラマだ》帝劇=東京帝国劇場
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD4110/index.html
── 《シネラマ・ホリデー 195512‥-196211‥帝劇》
 
196211‥《西部開拓史 》
1964-1965‥‥《アラビアのロレンス》を最後に解体。
 
(20080624-20090526)(20210123)
 

08月17日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る