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Kenの日記
by Ken
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■遍路七日目:伊予土井へ
「にぎたつ旅館」で朝食を頂いて6時30分には宿を出発しました。昨日の夜に降っていた小雨は止んで気持ちの良い朝です。JR西条駅で上り電車に乗ってJR中萩駅まで移動して中萩駅から歩き始めました。今日の歩き区間には札所がありませんので納経帖など遍路用品一式はリュックに仕舞いこまれています。

遍路道は国道11号線に着かず離れずして並行して走っている「旧讃岐街道」を通っています。コンビニに寄りたい時には国道を歩き、静かに歩きたい時には遍路道に戻るということを何回か繰り返しました。朝早いので「中萩小学校・中萩中学校」の多くの生徒児童と顔を合わせました。元気に挨拶する子供、恥ずかしそうに黙って通り過ぎる子供様々でした。総じて余り遍路のことを教えられていない感じでした。

遍路道が新居浜市街を通過していく場所で、「旧讃岐街道」がアーケード商店街になってしまいました。そこは「喜光地(きこうぢ)商店街」という昭和のムードをたっぷり残したショッピングゾーンでした。朝早かったので人通りは殆どなかったですが、面白そうな商店街でした。

遍路道は新居浜市から四国中央市に入っていきますが、峠となっている場所では国道11号線を歩きました。この峠は「讃岐街道」が国道11号線とダブっているようです。大型ダンプや貨物自動車の通行量が多く非常に怖い思いをしました。国道11号線では歩道が片方にしか無く、しかもそれが左から右、右から左と変わるので、信号のない場所でも道を横断しなくてはならないのには閉口しました。

遍路道は四国中央市に入っていきます。愛媛県の東端でその向こうは「香川県」です「四国中央市」とは良く考えた名前だと思います。川之江市と伊予三島市と2町が合併してできた市で高松・徳島・高知・松山に繋がる高速道路が通っています。JR伊予土居駅に近い遍路道沿いにある今晩の宿の「松屋旅館」で荷物を預かってもらって財布だけ持って手ぶらで「先歩き」しました。全く荷物を持たない遍路の姿は異様に見えるので「随分身軽だね」と二回ほど声を掛けられました。

「松屋旅館」の少し手前の旧遍路道脇で休憩しているときに、ものすごいスピードで「自転車遍路」が私を追い抜いていったのでした。こちらが手を振るとその遍路も気が付いたようでスピードは落とさずに手を振って走り去りました。瞬間的な観察からその遍路は外国人のようで髪が長かったので女性ではないかと推測しました。随分危険な遍路だなと思いながらも、あのスピードで走り去ったのではこれから出会うこともないだろうと考えていました。

ところが松屋旅館に荷物を置いて身軽になって国道を歩いていくと、土居インターと国道11号の交差点に警官が何人か集まって事故調査をしている光景にぶつかりました。近づいてみると先程の「自転車遍路」が自動車と接触して軽症を負ったというのです。後で分かったところでは彼女はフランス人女性遍路で6千円の「ママチャリ」を買って自転車遍路をしているのだそうです。

彼女も私を抜いてきたことを覚えていたので事情を聴いてみました。彼女は日本語が堪能で「足の傷は大したことないけれど手の親指の傷が痛む」「今日は無理をしないで三島に泊まろうかな」と言っていました。「軽症で済んだのは弘法大師が助けてくれたからでしょう」とも言っていました。しかしあのスピードは速すぎます。狭い遍路道は歩行者・自動車との出会いがしらの事故の危険があるし、通行量の多い国道11号線では更に大型車の接触など危険です。これから先気を付けて欲しいものです。

荷物を置いて身軽になったので結局「JR伊予三島」まで歩いてしまいました。伊予三島駅には2時30分に到着しました。遍路道は平坦であったので荷物を背負っていても三島まで歩けた感じがしました。中萩駅から伊予三島近くの遍路道までの「遍路道」の距離は29Kmだと案内本には書かれています。しかしこの間遍路道ではなく国道11号線を歩いたところが多かったので実際の歩行距離はそれよりも少なかったのだと思います。


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10月27日(木)
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