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Kenの日記
by Ken
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■遍路五日目:第64番前神寺へ
久し振りに宿坊に泊まりました。宿坊に泊まると朝のお勤めに参加することになります。仙遊寺でも朝6時からお勤めがありました。朝のお勤めには宿坊に泊まった者だけではなく、通夜堂に宿泊した遍路も参加します。昨日夕方仙遊寺でであった静岡県富士市からやってきている「野宿遍路青年」、岩屋寺で見かけた「健脚遍路女子」も一緒でした。また昨日夕食で一緒だった2組の夫婦遍路も参加しました。

読経の後で住職の講話がありました。これが40分を超える長いものでした。住職は3年前に奥様を失くされたということで本堂には奥様の遺影が飾られています。講和の中で「奥様の思い出」話を何回も繰り返されたことには少し閉口しました。大変奥様を愛されていたことが想像されました。後で知りましたが、通夜堂に泊まった歩き遍路に対してお寺さんから「風呂」のお接待があったのだそうです。住職の細やかな配慮を知って「朝の長話」もOKだと後で考えました。

朝のお勤めは7時に終わり、朝食を素早く頂いて7時30分に今日の歩き遍路に入りました。昨日苦労して登った急坂道を注意して下りました。下るとなると直ぐに登り口に達してしまいました。今日の最初の札所は第59番の伊予国分寺。伊予の国分寺は今治にあるのです。嘗てはこの今治平野に国府があり、国分寺・国分尼寺があったのです。しかし国府がどこになったのか現在もわかっていないようです。

国分寺で先を行く「健脚遍路女子」に会いました。彼女に横峯寺登山の前日どこに泊まるのか聞いてみました。やまり「小松」に連泊する予定で、一日目に61番・62番・63番を打ってしまい、翌日荷物を預かってもらって横峯寺に上るというプランを教えてくれました。横峰寺登山のプレッシャーがどんどん膨らんできたので、私も国分寺から電話してプランの変更を試みることにしました。

まず伊予小松にある「ビジネス旅館小松」に電話して部屋を確保しておき、ついで「しこくや」屋さんをキャンセルしました。歩き遍路はスケジュールが変わることが多いので、殆どの宿は宿泊当日「午前中」までキャンセルを受け付けます。これで「小松連泊」の計画に変更することができました。連休等の遍路客が多いシーズンにはこうは上手くいかないと思いました。遍路計画を事前に練り上げておくことが重要だと思いました。

遍路計画を修正して、まず第61番香園寺、第62番宝寿寺、63番吉祥寺を打ち、翌日に別の遍路道を経由して第60番横峯寺を打つことしたのでしが、実際に歩いている遍路道は計画通りの横峯寺を目指すものを歩いていることに気付きました。西に行き過ぎてすぎて遠回りしていました。急いで地図を取り出して国分寺から直接「伊予小松」に向かう道を探しました。ところが遍路案内書にはその部分の地図は収録されていないのです。スマホの必要性を強く実感しました。

仕方がないので地図のない場所は「感」と「磁石による方角」と「高速道路の高架」を頼りに歩きました。通常は遍路が通ることのないような道を歩いたので沿道に住んでいる方からお接待として「みかん3つ」頂きました。疲れている時のフルーツは大変有難かったです。

遠回りはしたものの間違いに気付いた後は概ね最短距離を歩いたようでした。第60番国分寺を9時15分に出発して18Km離れた第61番香園寺には2時30分に着くことができました。第61番香園寺は非常に珍しい近代的なビルの寺院でした。大きなビルの二回に本堂あり本尊が祀られています。本尊の周囲には映画館のような椅子がびっしり設置されています。

第62番宝寿寺はJR伊予小松駅の直ぐ横にあります。駅に近いので駐車場の確保が難しいためバス利用の団体遍路は少し離れた駐車場から歩くようです。この宝寿寺については「愛知の佐藤」さんと桃李庵ご主人から噂を聞かされていました。「朝夕の納経時間を短縮したり昼休み勝手に設けている」というものです。私が参拝したのは午後3時頃だったので全く影響がなかったです。寧ろ団体遍路の納経帖書きを消化するため、大変てきぱきと采配を振るっている方がいて頼もしいと思いました。


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10月25日(火)
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