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Kenの日記
by Ken
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■台湾の未来
台湾では今年1月に総統選挙と立法府(国会)議員選挙が行われて、野党の「民進党」が政権を取りました。旧与党の「国民党」には歴史的大敗となりました。台湾南部の高雄選挙区は「民進党」が強く、立法府委員選挙で国民党候補が全議席を失いました。今回の「民進党」圧倒的勝利で台湾はアイデンティティを徐々に変化させていくことになりそうです。
国連では1971年にアルバニア決議が採択されました。これは「国際連合における中華人民共和国の中国代表権確立」を意味します。そしてそれまで中国を代表していた当時の中華民国(蒋介石に率いられる台湾国民党の支配下にあった)は国連を脱退しました。このことが明白に示すように「台湾(国民党支配下)」は中華人民共和国と対立する形で「中国を代表する」政治組織でした。
しかし台湾の民族や文化を考えると「台湾が中国である」と位置づけるのではなく、台湾は「東・東南アジア」の一つの島であると位置づけることも十分可能なのです。過去の中国歴代王朝は周辺の地域を「夷」として自分たちに敵対しない限り平和共存を認めていました。日本もそのひとつでしたし東南アジアの国々の多くもそのように見做されていました。実は台湾も昔からそのような「夷」と位置付けられていたようです。
その台湾が中国との関係で歴史上クローズアップされたのは明の「鄭成功」の台湾進出でした。清に敗れた明朝復活を目指す「鄭成功」は既に進出していたオランダ東インド会社を台湾から駆逐して中国大陸攻め上りの基盤を台湾に築いたのでした。「鄭成功」敗北後台湾は清朝の支配下に入ったのですが、中国北東部出身の清朝は台湾開発には無頓着であったようです。そしてその後の日本の中国進出・敗戦、中国国内における中国共産党と国民党の対立は台湾の社会の大きな影響を与えました。
清朝支配時代には殆ど真面な統治は行われなかったようですが、日清戦争で日本が勝ったことにより台湾が日本に割譲されるや否や日本からの投資が進み、日本の近代的な社会制度がどんどん導入されました。多くの住民はこのまま日本の一部になることを当然に考えていたと思われます。ところがその日本が戦争に負けて台湾の支配権を放棄してしまいました。日本に代わって統治者となったのが清朝を倒した「中国国民党政府」でした。
当時国際的に中国を代表する政権と認められていた「国民党政権」は終戦後に台湾統治を開始すると「台湾の中国化(日本統治時代の否定)」を掲げて強圧政治を開始しました。更にその国民党が中国共産党との内戦に敗れて、大挙して大陸から台湾に逃げてきたので大変なことになりました。国民党は「鄭成功」と同じく台湾に拠点にして中国大陸奪回を大目的にしていたので台湾の非常事態宣言体制は長らく続きました。
中華人民共和国の国連加盟が認めれ、中国経済が世界第二位に躍進すると台湾と中国の関係は大きく変化しました。国民党政府と中国北京政府との接近が始まりました。中国政府も「台湾は昔から中国」だったと考えていますから、体制の違いこそあっても「中華思想」という点では変わりありません。そんな時代の流れで表面に現れてきたのが「台湾は中国ではなく独自の民族国家である」という発想でした。
台湾が中国とは別の「民族国家」として道を選ぶと色々なメリットがあると思います。国際関係でいうと、中華人民共和国とは別に国連に堂々と加入することができるでしょう。オリンピックとか国際的なスポーツイベントに中国とは別に堂々と参加することができるでしょう。しかし台湾は決してその道を急いで突き進もうとはしていません。国民党・中国大陸からやってきた人々の考えとか、中華人民共和国の動きとか、周囲の状況をじっくり観察して慎重に進めているように見えます。
世界の多くの地域で民族的な対立で紛争が起こっていますが、台湾が過激な行動に走らずじっくりと着実に平和的に自分たちのアイデンティティを確立しようとしている方法が問題解決の先例になれば素晴らしいと思います。
08月11日(木)
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