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Kenの日記
by Ken
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■若松の休日
春分の日を含めた3連休です。その最後の日21日に休みを取って寄港地若松近辺を散策することにしました。考えた末に「飯塚」に行ってみることにしました。目的地はNHKの「華子とアン」の中で仲間由紀恵演ずる「白蓮」が嫁いだ先として有名になった「伊藤伝右衛門」の旧宅です。



「飯塚」までの列車の旅は2回も乗り換えなければなりませんでした。まず若松駅からディーゼル列車に乗って筑豊本線と鹿児島本線の交差する「折尾」まで行きます。「折尾」で筑豊本線の「電車」に乗り換えて途中駅の「直方」まで行きます。ここでまた違う電車に乗って「飯塚」に行きました。嘗て筑豊本線は「若松」を起点として走っていましたが、現在の筑豊本線は完全の「博多」を向いて走っていることが分かります。博多から見ると一番遠い「折尾ー若松」間がまだディーゼルで走っていることが納得できそうです。「伊藤伝右衛門旧宅」は「新飯塚駅」からバスに乗っていくことになります。

連休最後の日ということもあってテレビドラマで有名になった「伊藤伝右衛門旧宅」は多くの観光客で賑わっていました。丁度「雛祭り」の季節なので、旧宅建物内には多くの雛人形が飾られていました。この雛人形も目を引きましたが。嘗ての石炭財閥の伊藤家邸宅は大変立派でした。

広大な建物と庭は広大に加えて、色々なところに「白蓮」を迎えるために特別な作りを残していることは「伊藤伝右衛門」の思い入れが相当強かったことを示していると思いました。九州の最初の水洗トイレとか、立派な鏡のある洗面所、広いお風呂、西洋式のダイニングルームなど東京からやってくる「白蓮」に不自由な思いをさせないように考えられたものでしょう。それでも白蓮は宮崎龍介の許に去りました。

私は白蓮のことを「宮崎家の嫁」という関係で知ることになりました。宮崎龍介は熊本県荒尾出身の「宮崎滔天」の長男です。「荒尾」は「飯塚」から筑豊本線を南下して原田で鹿児島本線に乗り換えると、それほど遠くないことが分かりました。敷地内の白蓮ミュージアムには「宮崎滔天」との関係から、白蓮が周恩来に会ったときの写真とか、孫文・毛沢東が宮崎龍介とあっている写真が飾られていました。思いがけず中国辛亥革命との繋がりに出合うことができて興味深かかったです。
03月21日(月)
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