ID:85567
Kenの日記
by Ken
[99096hit]
■長崎の休日(二日目)
昨日の午後からの雨は夜には雪に変わりました。夜中にトイレにいった妻が湯沸器のお湯が出ないといっていました。朝になって確かめていると湯沸器に通ずる水道管が凍結したらしくお湯がでません。日が昇って暖かくなれば何とかなるかと思いましたが天気は悪く気温が上がるような状況にはありません。仕方がないのでコンロで湯を沸かして雑巾を温め、剥き出しになっている水道管を温めてみました。これを何回か繰り返している中に湯沸器経由の水が出るようになり、湯沸器に火が通ってお湯が使えるようになりました。外は一面の銀世界です。長崎ではかつて記録が無いようですが17cmの降雪を記録したとのことです。
急に厳しい寒さの中で雪が積もると、水道管が凍るどころではなく、交通は全面的に麻痺状態となりました。たぶんチェーンとかスタッドレスの準備をしている人は少ないでしょうし、市内の道路や高速道路・飛行場の滑走路の除雪器具も十分とは言えないでしょう。更にはバスの運転手さんとか飛行場の整備員さんも通勤手段がないでしょうから、交通機関は早々に今日の運行を諦めたようです。こうなると長崎観光も遠くにいくことはできません。従って今日は歩いて行ける範囲内を見物することにしました。
長崎のアパートの東側山裾には26聖人の殉教地がありそこには西坂教会と記念館があります。雪の積もった朝の坂道の階段にはすでに誰かあるいた跡があるので何とか教会に辿りつきました。日曜だから朝の礼拝があるはずなのですが大雪で時間を変更したようでした。26聖人の殉教は1597年豊臣秀吉の命令でなされました。これ以降キリスト教徒への弾圧が強化され各地で取り締まりが行われていきます。26聖人記念館も見学した後そこから中町通りを歩いて「長崎歴史文化博物館」に向かいました。大雪で屋外を移動するのは大変ですが大規模な博物館なら天気を心配すること無くゆっくりと見学することができます。しかしこの「長崎歴史博物館」の展示内容は私の興味とは少しずれていて入場料は高く感じました。
ここの展示で興味を引いたのが「Great Northan Telegraph」による国際電信回線のことです。日本が開国して間もない1871年デンマークの大北電信会社(Great Northan Telegraph)が長崎ー上海、長崎ーウラジオストック間に海底電信ケーブルを敷設して国際電信サービスを開始したのでした。東京と長崎の国内電信サービス開通が1873年なので、それまでの間の国際電信は東京から長崎まで陸送(玄界灘は船で)で運び長崎から世界に発信されたのでした。大北電信会社はグラバー園の麓の全日空ホテル近辺にあり現在記念碑が建っています。上海のバンドには現在でも立派な大北電信会社ビルが建ってるのです。
残念ながらこの日はサント・ドミンゴ教会の遺構が大雪のために閉館していました。この教会遺構は大変立派なものでその規模と丘の上立地から、創建当時はさぞ立派であったと思われるのです。嘗ては狭い長崎の町中に大規模な教会建築がいくつも建っていたのでした。その姿をコンピュータグラフィックで再現できないものでしょうか。
01月24日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る