ID:85567
Kenの日記
by Ken
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■彦島の「平清盛石塚」


現在滞在している三菱重工下関造船所は下関市の彦島にあります。彦島は本州の最西端の場所にあり南は関門海峡を挟んで北九州市です。この彦島は源平合戦の最終段階で平清盛の4男の「平知盛」がこの彦島に陣を構えました。兄の「宗盛」が屋島に敗れると「宗盛」は安徳天皇とともに彦島の知盛と合流します。そして最後の決戦「壇ノ浦の合戦」となるわけです。この彦島のほぼ東側のちょうど関門海峡を見下ろせる小高い丘の上に「平清盛石塚」があります。彦島は「平家」の子孫の方が多く住んでいて昔からの言い伝えがあるようです。この石塚の開設には以下のように書かれています。

「寿永三年(1183年)中納言平知盛は亡き父清盛の遺骨を携えてこの彦島に入り平家最後の砦「彦島城」の築城にとりかかり「砦」と定めたこの丘陵の小高い場所に納骨して墓碑を建立した。よく四年3月24日壇ノ浦の合戦に出陣したが再興の夢ははかなくも渦潮の中に消え失せた。」ということのようです。平清盛は息子たちに最後まで源氏と戦えと言い残して亡くなったそうです。清盛の遺骨を携えて源氏と戦ってきた平知盛は九州に逃れる道は最早なく、東からは義経郡が攻め寄せる状況で「彦島」を「最期の地」と考えた可能性は十分に考えられるところです。この石塚の横には「携帯電話の送受信塔」があります。このあたりでは見晴らしの良い場所
だと思います。

12月13日(日)
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