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Kenの日記
by Ken
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■官房長官のコメント
内戦が激化して治安維持が困難になっているイエメン国内に在留していた日本人1人が、中国艦船によって移送されて隣国オマーンに無事非難到着したというニュースがありました。これに対して菅官房長官は次のようにコメントしました。

「中国政府より、現地に滞在する中国人を通じて邦人旅行者に(艦船による退避の)申し出があり、本人が受け入れることを決めた。日本政府として、中国政府に輸送の働きかけや要請は行っていないが、中国政府の申し出・対応で移送が可能になったので謝意を示させていただいた。」

邦人安全確保の役割を担うイエメンの日本大使館は、既に2月15日に一時閉館され、当面カタール大使館内にで一部業務を継続することになっていました。そして退避と同じタイミングで在留邦人に対して「退避を勧告します。渡航は延期してください」との危険情報を発出しました。また、イエメンに滞在されている在留日本人に対しては直ちに同国から退避するよう「強い勧告」が」ありました。今回中国船で退避した日本人が2月15日以降どのような理由でイエメンに滞在していたのか分かりませんが、日本政府がその存在を把握していたのか、どうかはっきりしません。

イエメンではシーア派の反政府武装組織「フーシ」の侵攻によって首都サヌアが制圧されました。これに対し3月26日に隣国のサウジアラビア(10ケ国連合)が首都サヌア等に対する空爆を開始しました。空爆は3日間続き一旦中断しました。3月28日には批難していたイエメン大統領が隣国サウジアラビアに脱出し亡命政府のような形となってしまいました。

サウジアラビアの空爆を受けてイエメン国内の全ての空港の民間航空機の発着は一部のチャーター便を除いて運行が停止されました。この状況下においてイエメン国内に多くの在留中国人を抱えていた中国大使館・政府の対応は以下のようなものでした。空爆の始まる直前に中国ミサイルフリゲート艦の「Weifang」「Linyiの2隻と輸送船「Weishanhu」の合計3隻がイエメン近海に派遣されていました。空爆が中断した3月29日にこの3隻によって中国人避難作戦が開始されということです。

3月29日の最初の退避作戦では122人の中国人と中国企業の二人の外国人をアデンからジプチに「Linyi」によって移送しました。30日の作戦ではアルホダイダから449人の中国人と6人の外国人を「Weifang」で移送しました。「Linyi」は30日に再びアデンに戻り225人の外国人移送作業に就きました。これは10ケ国からの要請の基づく作戦であったようです。

この後3月31日には「Linyi」が24人の中国人・14人の中国大使館職員・45名のスリランカ人をアルホダイダ港からジプチに移送しました。31日には「Weishanhu」船が中国人9人と日本人1人を乗せてアルホダイダからオマーンに到着したのだそうです。この一連の作戦で中国人629人、外国人279人がイエメンから移送されました。

日本政府としてはいち早く大使館を閉鎖し「強い退避勧告」を発出して「日本人」を危険地帯のイエメンから退去させた積りだったと思いますが、政府の退避勧告に従わない「日本人」はいるものです。サウジアラビアの空爆開始でイエメンから出国する飛行機は運航停止されていますから、もし日本政府が「日本人」の存在を知っていたら何らかの措置を講じていたと思います。それは自ら救出に行くかあるいは他国の救出作戦に助けてもらう方法となります。

菅官房長官が「中国政府に輸送の働きかけや要請は行っていない」と発言したことは、日本政府が既に当該日本人の救出作戦を開始していたか、あるいは「日本人」の存在そのものを知らなかったかのどちらかです。もし後者であれば日本政府の情報収集能力が劣っていたことになりますし、前者であれば日本の救出作戦のタイミング・スピードが中国政府の作戦より劣っていたことになるでしょう。何れにしても「中国に要請していない」という発言は日本政府の非常に鈍い危機管理体制を如実に示しているようにしか思えません。日本政府は余分なコメントを付け加えずに素直に感謝しておくべきでした。
04月08日(水)
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