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Kenの日記
by Ken
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■ドレスデン空爆記念日における独大統領のスピーチ
1945年2月13日・14日にドイツのドレスデンは連合国空軍から激しい空爆を受けました。この二日間のドレスデン市の大多数の建物が破壊され、住民等数万人の犠牲者がでました。大規模な都市殲滅作戦とも言えるドレスデン爆撃は同じ年の3月の東京大空襲、長崎・広島への原爆投下と並んで戦争末期におけるの敗者側が被った悲惨な不幸とし記憶されています。2015年は70周年目の節目の年なので復興したドレスデンの「聖母教会」において記念式典が行われました。その式典の中でドイツのガウク大統領が非常に立派なスピーチをされたということです。ドイツの国際放送DW(ドイッチェ・ヴィッレ)のサイトの主要な言葉を引用します。
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Remembrance can be a source of productive energy for a society. But in many parts of the world we are today once again seeing how a selective and, as it were, biased remembrance serves to further destructive, revanchist or nationalistic goals. Here in our own country, too, we will continually have to talk, and sometimes argue, about what we want to remember, and how.
A country which stood for the monstrosity of genocide, could not expect to emerge unpunished and unscathed from a war which it had itself waged. We know who it was that begun the murderous war, we will never forget the victims of German warfare, when here today we remember the German victims.
過去を思い出すことは社会の生産的なエネルギーの源となり得ます。しかし今日世界多くの場所で再び我々は過去を選択的に見ようとしています。別の表現を取るならば、偏見を持った「過去の振り返り」が更なる破壊、報復主義的なあるいは国家主義的な目的に向かわせるこ可能性を秘めているということです。
途方もない大量殺戮の代名詞になった「国」が、罰せられずに無傷で「自分の始めた戦争」から復興できることは殆ど期待できないことなのです。我々は誰が残忍な戦争をを始めたのか知っています。我々は今日ここでドイツ人の犠牲者に思いを馳せていますが、ドイツによる戦争の犠牲になった人々のことを決して忘れてはいけないのです。
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数万人のドレスデン市民が犠牲になったことは大きな悲劇でした。しかしどんな大きな悲劇を被ろうがドイツ自ら犯した戦争犯罪が軽減されるものでないことをドイツの良識ある国民は分かっています。日本においても家族を亡くした遺族、愛する者を奪われた人々の無念の気持ちは十分想像できますが、だからと言って日本が戦争で犯した罪は軽減されるものではないのです。ドイツにおいてはナチの時代を肯定するような右翼の動きがありますし、戦争末期の大規模爆撃は非人道的な戦争犯罪だとして非難する意見もありますが、ガウク大統領はそうした考えはっきり戒めました。
日本の満州事変以降の戦争によって近隣国に大きな被害を及ぼした責任は、日本人が悲劇的な犠牲を払った沖縄戦や東京大空襲・長崎・広島の原爆によって被った大きな犠牲によって、また戦後の日本の世界への平和的・人道的経済支援等による貢献によって軽減されるものでは決してないことを肝に銘ずるべきだと思います。国民の一部にそのような感情的に考える人達がいたとしても、日本国政府はその声を厳しく抑え、外国に対しては決して口に出すべきではないと思います。
02月27日(金)
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