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Kenの日記
by Ken
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■メナヘム・プレスラーさんのピアノ
昨年12月31日に行われたベルリンフィルのジルヴェスターコンサートがNHKBSで放送されました。ラモーとかコダーイとか珍しい曲が演奏されました。その中で注目されたのが91歳の現役ピアニスト「メナヘム・プレスラー」をソロに迎えてのモーツァルトのピアノ競争曲23番でしょう。興味深いプログラムでしたが一気に聞くには長いのでまず「ピアノ:メナヘム・プレスラー、伴奏:ベルリンフィル、指揮:ラトル」のピアノ協奏曲をまず聞いてみました。

91歳ですからテクニック面とか体力面で「大丈夫なのかな」という不安を持ちながら聞いたのですが、そんな心配は直ぐに吹き飛んでしまい、非常に心休まるメナヘムさんの演奏に引き込まれました。譜面をピアノにおいての演奏でしたが非常に巧みに「譜めくり」されているのでびっくりしました。元気で現役最長老記録をどんどん更新して欲しい思います。メナヘムさんの経歴を調べてみてメナヘムさんのピアノの「優しさの理由」が少し分かりました。

「メナヘム・プレスラーさん」は1923年12月生まれで昨年大晦日の時点で91歳です。メナヘムさんはドイツ北部のザクセン州のマグデブルグの紳士服屋を営む裕福なユダヤ人家庭に生まれました。そして小さい頃から教会のオルガニスト(Kitzekさんというドイツ人)からピアノを習っていたということです。ドイツを初めヨーロッパに住んでいたユダヤ人にはその時代非常に過酷な運命が待ち構えていました。

メナヘムさんの住むドイツでは1930年1月にヒトラーが首相に就任してから次第に「ユダヤ人」に対する弾圧が厳しくなります。ヒトラー政権はユダヤ人の就労制限だとか市民権制限などの弾圧政策を徐々に強化していったのでした。その弾圧に反対する意思表示としてユダヤ人によるドイツ国フランス大使狙撃事件が起こると、ドイツ国内の各地でシナゴークの破壊、ユダヤ人商店の破壊・略奪、ユダヤ人への暴力事件が発生したのでした。これが「水晶夜事件(1938年)」です。

メナヘムさんの商館も略奪されました。家族は家の奥に隠れて難を逃れたのですがこの暴動の目撃者となってのした。この事件以降ユダヤ人に対する弾圧は更にエスカレートして行きホロコーストに繫がっていったのでした。しかしドイツ人のピアノ教師は大変親切で暴動後に禁じられたレッスンも密かに継続され、一家がイタリア経由でイスラエルに脱出した際にメナヘムさんにドビュッシーの「水の反映」の楽譜を送ってくれたのだそうです。

メナヘムさん一家5人(両親の二人の兄妹)はドイツでの生活を諦めイタリア経由でイスラエルへの脱出に成功しました。しかしドイツに残った祖父母・叔父さん・叔母さんら5人の家族以外の親戚はすべてアウシュビッツのホロコーストの犠牲者となったのでした。メナヘムさんは過去を回顧して "In my life, the piece of bread has always fallen butter-side-up," と自ら非常に運に恵まれていたと考えています。

イスラエルに逃れたメナヘムさん(14歳)は心に傷を負い身体も弱まって保養所生活を送ることになったのですが、そこでメナヘムさんを支えてくれたのがピアノレッスンでありベートーヴェンのピアノソナタだったのだそうです。メナヘムさんはドイツ人から迫害に合いながらも、良きドイツ伝統をしっかり理解していたのでした。メナヘムさんは1946年に単身アメリカに渡り「ドビュッシーピアノコンクール」で一等賞を得、アメリカでの演奏活動を開始しました。

メナヘムさんはロスアンジェルスに拠点を構えますが、当時ロスアンジェルスのハリウッドにはドイツから逃れてきた芸術家が多く住んでいて、その人達との交わりはメナヘムさんの大きな影響をあたえたようです。その人達とは、「Thomas Mann, Arnold Schönberg, Sigmund Freud, Igor Stravinsky, Oskar Kokoschka, Artur Schnabel and the film composer Franz Wachsmann」だそうです。また芸術家を愛するマーラーの未亡人「Alma Mahler」とも交流があったのだそうです。


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02月23日(月)
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