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Kenの日記
by Ken
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■原発裁判
5月21日、福井地裁は関西電力「大飯原発3、4号機」の運転差し止めを命ずる判決を言い渡しました。福井地裁判事の判決の内容は以下のようです。

「求められる安全性」
原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範に奪われる事態を招く可能性があるのは原発事故以外に想定しにくい。具体的危険性が万が一でもあれば差し止めが認められるのは当然だ。

「原発の特性」
原子力発電技術で発生するエネルギーは極めて膨大で、運転停止後も電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならない。その間何時間か電源が失われるだけで事故につながり、事故は時の経過に従って拡大する。これは原子力発電に内在する本質的な危険である。

【大飯原発の欠陥】
地震の際の冷やす機能と閉じ込める構造に欠陥がある。1260ガルを超える地震では冷却システムが崩壊し、メルトダウンに結びつくことは被告も認めている。わが国の地震学会は大規模な地震の発生を一度も予知できていない。頼るべき過去のデータは限られ大飯原発に1260ガルを超える地震が来ないとの科学的な根拠に基づく想定は本来的に不可能だ。

今丁度「長崎の鐘」を読了した時期であり「長崎の鐘」作者の永井隆教授の考え方に心を動かされていたので今回の福井地裁判決に対する私の感想を記載しておきます

永井教授(長崎医科大学放射線科教授)は長崎医科大学で放射線物理を研究し、1930年代には医師として従軍し、帰還後にはキリスト教に入信(浦上天主堂神父により洗礼)し、1945年8月9日長崎原爆爆心地近くで自ら被爆し、自ら重症を負うも被爆直後の緊急救護活動に医師として従事し、戦後は執筆活動を続け1951年に亡くなりました。隠れキリシタンの子孫である奥様の「緑」さんは永井教授が宿泊業務のため8月8日に永井教授を8日に送り出しそのまま9日爆心地近くで被爆し亡くなられました

永井教授は、研究者としてアインシュタインの「相対性理論」を理解し、放射線医学者として「原子力の平和利用」の方法を研究し、戦争の最前線の態様・戦争の悲惨さを十分理解し、執筆活動を通してキリスト教の立場から人間社会を見通してきた人物でした。

「長崎の鐘」においては、「人類が発見した原子力は途方もないものだが、それを制御するのも科学者に課せられた宿題である」との考え方が貫かれています。永井教授は原爆被爆以前から放射線を浴びて身体を壊し始めていましたし、奥様の安否を確認することなく被爆直後から救急医療活動を続けられました。まさしく自分の「身」を削って「原子力」の威力・人間への影響を記録を残されたのでした。

人類祖先が大昔「火」を知って「火」をコントロールできるようになって随分と社会・生活が変わりました。生活が便利になる一方で「火災」で命を亡くしたり、「火薬」を使った武器によって戦争の悲惨さは増しました。原子力の発見・利用に伴い「原子爆弾の被害」「原発事故」で従来では考えられないような被害が発生することも分かりました。しかし科学者として永井教授は「原子力利用」の人類への貢献を「多」としました。

原子力の発見は「火」の発見に披見しうる程のものかもしれません。少なくとも永井教授は多少の犠牲を払っても科学者として平和利用の道を開き将来の人類に大きな貢献できると考えていたと思います。ここは難しいところですが、発見の効果が大きければ大きいほど人類への恩恵は大きいし、悪用されれたり事故が発生すると人類への被害は大きいと思います。

しかし「知力」「探究心」を授かった人類は「発展」を目指して歩むことを止める訳には行かない運営にあると思います。それは能力を備えた人類の宿命だと思います。如何なる困難が待ち受けようともそれにチャレンジすることを運命付けられていると思います。その場合に採るべき手段は発展を止める手段は、発展を止めることではなく、被害を最小に留める手段を講ずることだと思います。
05月22日(木)
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