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Kenの日記
by Ken
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■エル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカスのこと

遥々千葉市にある千葉県文化会館まで「エル・システマ・ユース・オーケストラ・カラカス(以下:エルシステマ)の演奏を聞きに行って来ました。今日の演奏会は千葉県少年少女オーケストラとの交流コンサートということで、入場料1000円。エルシステマの演奏が1000円で聴けるのですから安いものです。

千葉県少年少女オーケストラの演奏(井上道義の指揮)
コントラバス:エディクソン・ルイス
ディッタースドルフ曲目:コントラバス協奏曲 変ホ長調
ファリャ作曲:バレエ組曲「三角帽子」より
“Scenes and Dances”“Three Dances”

エル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカス
指揮:ディートリヒ・パレーデス
チャイコフスキー作曲:交響曲第5番ホ短調

合同演奏
指揮:ディートリヒ・パレーデス
ショスタコーヴィチ作曲:祝典序曲イ長調

曲目は上の通りで、エルシステマは常任指揮者の「パレーデス」の指揮でチャイコフスキー交響曲第5番を演奏しました。兄貴分のシモンボリバルも得意としているだけあってヴェネズエラ気質にあっている曲のようです。ステージ一杯となったエルシステマ全プレーヤーがパレーデスの丁寧でダイナミックな指揮に鋭く反応して大変な熱演・名演でした。

12日(土曜日)の夜に東京芸術劇場で「ショスターコーヴィッチ7番」をメインとするエルシステマの演奏会を聞きました。偶然ですが13日(日曜日)の夜は「グスターボ・ドゥダメル」指揮のミラノスカラ座ガラコンサート番組を途中から聞きました。そして今日のエルシステマのチャイコフスキーの交響曲を聴くこととなり、「ヴェネズエラ」にタップリ浸る連休となりました。どうして「ヴェネズエラ」の音楽家がこのように脚光を浴びることとなったのか少し考えてみました。

「ヴェネズエラ」は他の多くの南米の国々と同様にスペインの植民地支配から独立を果たしました。非常に残虐で悪名高いスペインの「植民地支配」は今になってヴェネズエラの恩恵をもたらすこととなったのではないかと思います。

まず、南米に渡ったスペイン人は「メスティーソ」と呼ばれるスペイン人と現地住民の混血を生み、今やこの「メスティーソ」が国民の大半を占めるほどに拡大したという事実は見逃せないと思います。アメリカに上陸したプリグリム達は基本的に家族で移住し「白人」による独立国建国を果したのに対して、スペイン征服者は基本的に男性戦闘員が住み着いて植民地を経営することとなり現地女性と結婚して「混血」がどんどん進んだのだそうです。

植民地時代から数百年が経過して「メスティーソ」による国の建設・運営が進んでいるのです。「メスティーソには美男・美女が多い」と言われていますがシモンボリバルでもエルシステマでも美男・美女のプレーヤーが沢山いることはそのためです。千葉県文化会館で若い女性客がプレーヤーを「カッコイイ」とコメントしていたのは印象的でした。「メスティーソ」にとってはスペイン・ポルトガル・イタリアなどは自分達の祖先に繋がる血筋なのです。北米はメキシコを除いてイギリス・フランスの植民地であったことから英・仏の文化的影響が強いと思いますが、メキシコ・南米諸国は宗主国スペイン・ポリトガルの文化的影響が色濃く残っているのだとと思います。

その代表例は「言語」でヴェネズエラの公用語スペインです。ヴェネズエラのサッカー選手はスペインリーグに直ぐに溶け込めるでしょうし、スペイン語はイタリア語と近いのでヴェネズエラの音楽家はイタリアオペラに比較的容易に入っていけるのではないかと思います。英語教育を長期間受ける日本人が音楽を学ぼうとすると「イタリア語・ドイツ語」を別に習わなければならなくなることに比べて大分状況が違うのだと思います。

サッカーにおいて南米のサッカーチームが発祥の国々を凌駕するような発展を遂げたと同じように、音楽においてもヴェネズエラの音楽界がその母国に優秀な音楽家を逆輸出するような時代になったのだと思います。一方で優秀な者・優れた者を素直に受け入れる「本家」の方も非常に度量が広いと思います。
10月14日(月)
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