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Kenの日記
by Ken
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■「ネタジ・スバッシュ・チャンドラ・ボース」の69回目法要
1945年8月18日、台湾の台北松山空港での飛行機事故で「チャンドラ・ボース」が亡くなりました。今日はその日から68年目にあたります。「チャンドラ・ボース」の遺骨を預かる杉並区の蓮光寺で69回目の法要が行われました。単にインドに住んだことがあるという繋がりで、妻と一緒にお参りに行ってきました。
今や西葛西がインド人居住区として定着し、日本に暮らすインド人の数が格段に増加していることによるのだと思いますが、さして広くない蓮光寺の2階の本堂広間には多くのインド人の方が参列されました。見た目では日本人と半々位に増えたかなという印象です。そういう傾向はここ数年続いていて法要後の会食においては「ヴェジタリアン」用の食べ物として「納豆巻・稲荷寿司」が沢山用意されていたのは非常に良いことだと思いました。
今回はなんと自分達用の「ヴェジご飯」を用意してくるインド人グループもあったし、会場入口で「Donation袋」を用意してこなかったインド人参列者に配っている人もいて、法要に参加するインド人の方の間で、物珍しい見物気分から「法要参列」へと意識が変わってきているような感じを受けました。来年は70回の区切りの法要なので、より多くのインドの方を広めて欲しいと、話す機会をもったインドの方達には伝えておきました。
今回は日本人参列者の方達について少し観察しました。私達のような素朴な「インド&ボースファン」の方達がかなりいらっしゃると思いますが、話を聞いていると「政治からみ」の方々や「右思想からみ」の方達を見受けました。チャンドラ・ボースが「旧日本軍」と共にっていインドの独立を目指したのは確かな事実であり、先の戦いが宗主国の搾取に苦しんでいたアジアの植民地諸国の独立を促がしたと言う性質を有すると主張する意見を全面的に否定するものではないですが、先の戦争は明確に「侵略戦争」であり、チャンドラ・ボースはインド独立のためにドイツ・日本を利用しようとしたに過ぎないという冷静な状況認識は必要だと思います。
インド人の方々に「チャンドラ・ボース」に関する正しい認識を持ってもらうことは非常に大事です。そしてその際に日本人として先の第二次世界大戦に対するキチンとした認識もちながらインドと付き合っていく必要があると思います。「チャンドラ・ボース」を過度に英雄視することは彼の祖国インドでも受け入れられないことだと思います。これは「靖国神社」に参拝することと似ていて、戦没者を悼むことと戦争責任の問題は切り離されなければなりません。
インドの人達が日本人の「経」を理解できるかどうか分かりませんが、少し残念に思うことは言葉の問題です。蓮光寺での法要は全て日本語で行われるし、日本での「チャンドラ・ボース研究」は日本語でなされていることが多いです。一方インドの教育においては「チャンドラ・ボースの死」について別の見解が教えられているようです。これからインドの若い人達の参加も増えていくと思われますので、「ベジ」に加えて「英語による紹介」にも意を注ぐ必要があると思いました。
08月18日(日)
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