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Kenの日記
by Ken
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■中山市の孫文故居記念館訪問
本日の移動
○徒歩 :コタイコンラッドホテル → マカオ蓮花路出入国管理事務所
○バス :澳門出入国管理事務所 → 中国横琴口岸(出入国管理事務所、運賃3ドル)
○車 :横琴口岸 → 珠海漁乙女像 → 孫文故居記念館 → 昼食 → 横琴口岸
○バス :中国横琴口岸 → 澳門出入国管理事務所(3ドル)
○ホテルシャトルバス :澳門出入国管理事務所 → コタイコンラッドホテル
○ホテルシャトルバス :コタイコンラッドホテル → 澳門外港フェリーターミナル
○澳門ターボジェット :澳門外港フェリーターミナル → 香港上環フェリーターミナル
○徒歩 :上環フェリーターミナル → 香港のホテル
○バタフライオンハリウッドホテル

本日の食事
朝食:コタイサンズ3Fフードコート ラーメン、オムレツ
昼食:珠海市 飲茶
有職:上環 飲茶

マカオから中国に入国して中山市の「孫中山故居記念館」に行ってきました。マカオから中国への入国口の「横琴入管」を通って入国し、そこで事前に頼んでおいた珠海のガイドの「温」さんと合流しました。この「横琴」は比較的新しい入管で非常に空いていたので、待ち合わせの約束の午前9時30分に通過することができました。マカオから中国に入国する従来のゴンベイ入管では数時間またされることもあると聞いていたのでラッキーでした。

入管から車で珠海市に入り、広州市に通ずる新幹線の巨大な駅やら、大規模なモールのあるゴンベイ入管の下を通って珠海市観光名所の「真珠海女像」を見ました。広大な珠江湾は珠江が海に流れ込む場所で、それに面する珠海市の海岸はプロムナードとして整備されています。その一角にある「真珠海女像」の公園は観光客で混雑していました。珠海ではかつて真珠の養殖が行われていたのでこの名前が付けられたものだそうですが、今は途絶えているようです。

「温」さんによると、改革開放前の珠海市は人口5万人の小さな漁村だったのだそうです。その漁村が今では150万人の都会に成長しました。お隣のマカオが発展してきたとは言え人口数十万なので、あっという間に追い越してしまったのです。それは珠海の対岸の深セン市でも同じ状況です。珠海の道路は整備されていて高速道路は北京まで通しているのだそうです。2000Km以上離れた北京まで3日かかると言うことです。

「孫中山故居記念館」は珠海市内から車で30分位でしょうか。珠海市の北の中山市の南部にあります。広州の行くよりはマカオ・香港に行くほうがずっと近い場所にあります。広東・マカオはイギリスのアヘン貿易の拠点だった場所で阿片戦争が始まった場所です。マカオは阿片戦争後に香港とともに外国に割譲されました。その後マカオはポルトガル、香港はイギリスの植民地となります。そうした植民地近くの中山(当時は香山県)に生まれた「孫文」は、戦争に敗れた清朝の衰退と西洋文化を身近に育ったのでした。

「孫文」の生まれ故郷の「孫中山故居記念館」は孫文の生家とともに記念館を設けて孫文関係の文物を展示しています。マカオの孫文記念館に較べると大規模で整備されています。またマカオの孫文記念館は全くガラガラでしたが、そこは多くの観光客で賑わっていました。

「マカオの孫文記念館」では台湾の国民党に関係する展示が多かったのです。そこでは孫文の国民党創始者としての一面を強調しているようでした。一方「中山の孫文記念館」は近代中国者としての中国や、中国共産党の名誉主席として孫文死後も活躍した「宋慶齢」に関する展示の結構多くの面積を割いています。この辺りは辛亥革命後の中国の政治情勢を反映していて非常に微妙なところです。しかし「孫文」に関する限り「国民党」「共産党」の党派を超えて中国国民のことを考えていたことから「国父」となっているのです。


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05月04日(土)
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