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Kenの日記
by Ken
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■インド・スリランカからゲスト来日
今年の夏、8月15日から19日まで静岡県清水(静岡市清水区)で世界アマチュアオーケストラフェスティバルが開催されます。
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このフェスティバルにインドのBCO(Bombay Chamber Orchestra)のジニー先生とSOSL(Symphony Orchestra of Sri Lanka)のドュッシー先生が来日されることになりました。BCOからはヴァイオリン・ヴィオラの演奏者が各1名演奏に参加するようです。日本・世界各地のアマチュアオケの指導者の交流や、様々なオケのメンバー混合編成で演奏会が行われます。会場は清水の駅裏に新設された立派なコンサートホールで19日の午後行われる事になっています。(私が住んでいたずっと昔にはありませんでした)
さて今年2012年は日本とインド・スリランカが国交を樹立してから60周年の記念の年に当ります。1951年にサンフランシスコ講和条約が締結されて戦争が正式に終了してのですが、インドはその時の講和条約にサインせずその翌年日印の二国間で平和友好条約を締結しました。戦後の極東軍事裁判でパル博士の意見提起は勿論日本にとって忘れられないものです。当時セイロン代表(スリランカになる以前)として講和会議に参加したジャヤワルダナ(その後首相・大統領に就任)は、講和会議の演説の中で仏陀の言葉「憎悪は憎悪によって止むことはなく慈愛によって止む」を引用して、参加国に対して一定の影響を与えるとともに敗戦国日本を大いに励ましてくれました。その翌年にスリランカはいち早く日本と国交を樹立したのでした。このように終戦後の日本はインドとスリランカから大変貴重なサポートを受けたのでした。
今でこそ「BRICS」の一国として脚光を浴びているインドですが、長い間非同盟中立で独自の道を歩んできたので国内の近代化には時間がかかっています。そのインドにおいてクラシック音楽普及活動を続けることは並大抵のことではないと思います。BCO設立者のジニー先生は50年間に亘って辛抱強くそして非常に優しくBCOの活動を続けて来られました。
独立後に民族紛争を抱えることとなったスリランカも非常に苦しい時代をすごしてきました。ようやく民族紛争が収束を迎えたのでこれからが国作りの本番です。SOSLの中心メンバーのドュッシー先生のチェロは物凄いレベルで国外でも十分演奏活動ができますが、先生は故国スリランカに留まってクラシック音楽普及活動に当たってきました。
ジニー先生の50年に及ぶ活動に共鳴された「Yさん」の奔走のお陰で今回のジニー先生の来日が実現したもののようです。そのジニー先生の希望によってSOSLのドュッシー先生も来日されることとなりました。このお二人が揃って来日されるのであれば、お二人に大変お世話になった私も何かお役に立ちたいと思い、お二人とビオラ奏者のシャルメさんの3人の「空港⇔清水」のアテンドを引き受けることにしました。
ところがこれはかなり気を使うものです。私はスリランカからスリランカ人と一緒に日本に来たり、インドからインド人社員に日本に出張してもらったりしましたが、日本は日本人には大変便利ですが、スリランカ人・インド人にとってはかなりハードシップの高い国なのです。日本に住んでいてはなかなか実感できない外国人(特に南アジア)を迎えるときの注意点を、これからの準備もありますので確認のために列記しておきます。
1.妻にも手伝ってもらう。
女性のジニー先生・ドュッシー先生に対応するためご両人に面識のある妻にも参加してもらいます。女性をアテンドするには男では限界があります。
2.「成田⇔清水」の移動はできるだけ安く。
電車では乗り換えが大変だし費用も高いので私の車を使うことにしました。長旅なので途中の休憩場所を検討しておかなければなりません。最近PAが充実しているようです。足柄、海老名あたりを考えておきます。
3.食事に気を配る。
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08月10日(金)
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