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Kenの日記
by Ken
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■ナポリ食・人々の印象
昨日考古学博物館でポンペイ出土品を見て、今日は現地ポンペイ遺跡の見学です。ホテルからヴェスーヴィオ火山周遊鉄道の始発駅までは歩いて行きました。まだ朝早かったので周遊鉄道の車両はガラガラでゆったり移動できました。電車はまさにヴェスーヴィオ火山を周遊するように走るので、ナポリ側からのヴェスーヴィオの北側の眺め、西側からの眺め、南側からの眺めを楽しむことができました。遺跡近くのポンペイスカービ駅はその名称通りポンペイに遺跡の正面玄関のところあります。ここから今日半日の散策が始まります。
西暦79年8月24日のヴェスーヴィオ火山の大噴火によってポンペイは完全に破壊され、火山灰に埋没してしまいました。ヴェスーヴィオ火山から流出した火砕流と噴出された火山灰は6mに達して街を覆い尽くしました。そのポンペイが発掘されて当時の生活の様子が知られるようになるのは18世期の半ば以降のことでした。
発掘されたポンペイが2000年前の埋没時そのままの姿であるので、ポンペイ散策は古代の道をそのまま当時の人々と同じ目線で歩いて見て回ることになります。従って丹念に見て回るとかなり時間がかかります。当時馬車道が作られていましたが、舗装としってもデコボコな石畳なのでさぞ乗り心地は悪かったと思われます。私達はまず東西のメイン道路(アッポンダンツァ通り)を東に進んで競技場まで進み、その後再び中心に戻ってから南北の道(メルクーリオ通り)を北進して公共建物などを見学しました。
アッポンダンツァ通りの人通りの多いと思われる場所には居酒屋が何軒かあります。メインの交差点の角には大きな公衆浴場があります。多くの人が集まりそうな便利な場所にある公衆浴場は人々の憩いの場であったようです。神殿とか広場が政治の中心地ですが、人々の間の気の置けないコミュニケーションは公衆浴場や居酒屋でおこなわれたのだろうと思われます。
感想を一言でまとめるのは無理ですが、非常に単純な感想として「電気もテレビもインターネットもない2000年前のポンペイでは、人々は愛する人と人生を大いに楽しんでいた。人の死というものが現代より身近であったからこそ死を恐れ悼み、人生を楽しんでいたのだろう」ということを想像できました。そしてその楽しみ方はたぶん「南イタリア流」そのもので、現代の南イタリアにもしっかり受け継がれていることが類推することができます。
古代ポンペイにはコンビにはなかったし現在のナポリの街中にも見かけません(たぶん郊外の新興の街にはあると思います)。現代のナポリの人々は朝コーヒースタンドでコーヒーを飲み、昼食時や夜は戸外に出て近所の人達と談笑したりトランプしたりして過ごし、自宅やレストランで美味しい食事を時間をかけて食べるのです。この地方特産の白ワインをちびちびやりながら。そうした生活の様子がポンペイから発掘されているのです。
集団の娯楽施設としては浴場・競技場があり、そこで当時の人々が大いに楽しんだことでしょう。それは奴隷や剣闘士の存在を抜きにしては語ることができないとはいうものの、奴隷や剣闘士の一部の人々も次第に人生を楽しむことができるようになって行ったようです。飛行機でナポリに近づくと成田上空で当たり前に目にする「在る光景」が見当たらないのです。ゴルフ場が見当たらないのです。イタリアの人達はそういうものには興味が無いのかしら。
ヴェスーヴィオ火山の噴火は何回か続いたようで、最終的にポンペイは6mの灰に埋まりました。最初の噴火の時に逃げることのできた人々は助かったようです。東北大震災の地震と津波がもたらした大災害の状況が2000年前に起こったのでした。しかし火山灰は津波とは違って、燃えるものは燃やしましたが、燃えにくいものはそのまま2000年間近く地下に保存したのでした。
昔からの食材のオリーブ・パン・チーズ。これでかなりのワインが飲めます。ナポリの豊かな食文化は温暖な気候に恵まれた南イタリアの農作物によって支えられているのだと思いました。つまり素材の美味しさです。多くの料理で使われるトマトの美味しいこと。モッツァレラをはじめとするチーズが美味しいこと。至る所にオリーブや果樹の木があります。更に美味しくて安いワインが豊富なこと。
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03月24日(土)
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