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Kenの日記
by Ken
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■大連旅行
中国の大連に来ています。

成田空港から午前中の便で中国に飛んで昼過ぎに大連に到着しました。飛行ルートは本州上空を飛んで島根県あたりで日本海に入り、韓国上空を経由して遼東半島に入るというもの。本州・日本海が晴天の夏空であったのに、韓国に入ったとたんに雲が多くなったのが印象的でした。大連はどんよりした曇り空で、空港で迎えてくれたガイドの「白」さんによると今年の大連は曇り空が多く、冷夏といえる気候だと言っています。日本と大違い。

空港から市内のホリデイインホテルに移動して、荷物を置いてから早速市内散策に出かけました。ホリデイインは大連市の中心といえる中山広場から北に伸びる上海街と繁華として有名な環状道路の天津街の角にある便利なホテルです。ここで情報。空港で両替すると手数料を取られて1元=14.2円でした。ホテルに着いて両替すると12.7円です。空港の両替店のレートは極端に悪いです。

市内見学の最初は中山広場に行きました。中山広場の周りには嘗ての日本租界時代の建物が多く残っています。外から眺めるものが多いビルの中、旧大和ホテル(大連賓館)と満鉄本社ビルは中を見学できるようになっています。まず大和ホテルに入って見ました。

大和ホテルは満鉄の経営していたホテルで大連の中心地の中山広場の上海街のほぼ向かいの場所に当時の姿のままで残っています。現在でも宿泊可能な現役のホテルです。その中に見学コースがあり宿泊者は無料で見学できるのだそうです。私達は一人50元の入場料を払って入りました。見学できる場所は以下の場所で、案内をしてくれたのは受付担当の岩槻に住んでいたこともあるという「昭さん」でした。

○賓客を迎える迎賓室
○「宣統帝溥儀」が滞在した部屋
○資料室と食堂(バルコニーから見学)
○屋上(今回は工事中で見学できませんでした)
○展示室兼売店

先客が見学中とのことなので20分位ホテル奥の吹き抜けの喫茶店でコーヒーを飲んで休みました。そこは非常に洒落たホテルの中庭で昔のままに残っていました。少し高いと思われるコーヒー(アイスとホット)を飲みましたが大変美味しかったです。

ホテル一階の迎賓室は非常に立派な造りの広間で、多くの賓客がここで会談を行ったということです。大連に縁があるいう村山総理の会見の写真が掲示っされていました。

二階の溥儀が滞在したという部屋は正直言って大変狭くて「本当?」と言う感じでした。立派な机のある居間と普通程度にダブルベッドの置かれた寝室です。溥儀の写真が掲示されている以外これと言って特徴はありません。この溥儀の部屋・資料展示室には満鉄時代の様々な品が展示・販売されています。特に満鉄時代のグラス類が豊富で、当時の満鉄マークの入ったものは非常に貴重なのだそうです。

「昭」さんの話では倉庫にはまだ沢山の品物が残っていて少しずつ整理しているとのことです。確かにソ連参戦のために急いで日本人が逃げ返ってしまったのですから、かなり多くの遺留品があることは想像できるのですが、「本物」を売り払うのかどうかもうひとつ納得することが出来ない説明でした。

満鉄本社ビルは中山広場から魯迅街を少し南東に下った場所にありました。ここは嘗ての総裁室と資料館が見学可能となっています。ここも入場料50元でした。「通常はツアーガイドが説明するのですが」といいながら資料館の「麻さん」が大変詳しく説明してくれました。

満鉄の事業として鉱山開発、製鉄、発電、電気・ガス等の公共サービスの提供、満鉄映画とか調査室の活動などをパネルを参考にして要領よく説明してくました。アジア号、水力発電所等当時世界有数の最先端技術を惜しげも無く採用したのでした。初代の後藤新平はじめ初期の経営者の指導の下で、満州事変でおかしくなるなるまでの満鉄の活動は非常に先鋭的でした。

関東州(≒遼東半島)は香港と同じように日本が清国から1997年まで租借しました。軍部の暴走が無くて、満州事変・太平洋戦争起こらなかったならば香港以上の発展が可能であったかもしれません。


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07月15日(金)
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