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Kenの日記
by Ken
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■故宮見学
29日は午前中と後午の二回に分けて故宮博物館の見学でした。タップリと故宮博物館を見学できることが今回のツアーを選んだ理由のひとつでした。またガイドの「許」さんは非常に博識な方で様々な分野に飛ぶ私の質問に的確に答えてくれました。明・清の歴史をきちんと勉強していけばもっと面白かったとは思いますが、最初なので断片的な知識を得ただけでも良しとすべしです。

午前中の見学は、天安門広場を見学してから「天安門」、「端門」を抜けて南の「午門」から故宮博物館に入館しました。この三つの門はどれも立派でそれだけでも一見の価値があります。北京には多くの門が聳えていて「門の街」と呼ぶことができます。嘗ては故宮の北にある「鼓楼」が一番高い門であったそうで、そこから北京市内が見渡せたことでしょう。その「鼓楼」の南の延長線上に「故宮」が作られたのでした。「高い門」はドラビダ様式のヒンズー寺院にも共通する建築です。しかし中国の高い門は権威の象徴であり、その「門」は身分の差を明確に表す一つの「境目」をも表しています。

午前中はまず故宮南側の「朝」を見学してから北側「廷」の東側の宮殿を見学しました。まず「朝」は立派な「午門」を通って故宮に入りました。「午門」は「コの字」型をした門で皇帝が戦いに出発する「兵士達」へ言葉を送った場所なのだそうです。「皇帝」の声が散ってしまわないようにという配慮なのだそうです。

午門の北側には「内金水橋」という川が流れています。その北側に「太和門」があります。太和門の入り口には一対の「獅子」の胴象が据えられています。この「獅子像」が素晴らしく立派なものでした。東側が「雄」で西側が「雌」の獅子像でどういうわけか「雌」にも立派な鬣があります。雌の獅子は左手ので子獅子をあやしていて、雄獅子は右手で地球をコントロールしています。この「太和門」は皇帝が上奏を聞いたり詔勅を発する場所であったのだそうです。

皇帝が政務を行ったのは「朝」の一番北側の「大和殿」「中和殿」「保和殿」の広大な建物です。大和殿は通常皇帝が政務を行った所、中和殿は皇帝の控えの建物、保和殿は皇帝が科挙の最終試験を行ったところです。この建物郡は「ラストエンペラー」の主要な舞台になっている場所だそうです。もう一度見て見たいと思います。

午前中は「廷」には入らずに東側の建物郡を見学しました。こちらは皇極殿などの建物を見学しました。ここは清の「乾隆帝」が退位して余生を過ごした場所です。生存中に退位したのは「乾隆帝」だけだそうです。丁度今上天皇が健康を害しながら誕生日迎えられました。日本の天皇にも「退位」という制度があれば良いと思います。

午前中最後のポイントは故宮の北東隅にある「珍妃の井戸」です。珍妃は清朝末期の光緒帝の妃で西太后と対立しました。その珍后が殺害されたのがここの「珍妃の井戸」でした。
12月29日(月)
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