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Kenの日記
by Ken
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■スリランカ内戦激化(11)「25年目」
1983年7月24日、スリランカの首都コロンボでタミール人市民に対する暴動が各地で発生しました。これが現在まで続くスリランカの民族紛争の直接の始まりでした。今年ついに25年を迎えてしまいました。スリランカ北部を拠点とするタミール人・海外の住むスリランカタミール人はWeb上で様々な声明を発表しています。スリランカの政府側(シンハラ人側)の新聞報道には殆どこれに関連する記事は載っていません。それどころから丁度同じ時期にコロンボで開催されている南アジア地域協力連合(SAARC)のためにLTTEが休戦提案をしたのですが、攻勢を続け各地の戦線で有利になっている政府側はこれを拒否しました。
25年前のスリランカ南部のタミール人に対する暴行で2000人から3000人のタミール市民が犠牲になりました。そして家を焼かれ財産を失い命からがら北部に逃れたタミール人は100,000人を超えたのでした。その当時撮影された写真がホームページに掲載されていました。
タミールネットの掲載されている記事と写真
この写真のようにスリランカの首都コロンボで少数であったタミール人が狙われ、苛められ、殺されました。弱いもの、少数者が犠牲になりました。ガソリンをかけられて焼かれた、強姦された、略奪されたという報道が多いのです。同じ人間をまるで「虫けら」のように扱う集団心理が人間には備わっているようです。政府も軍も警察も数日間暴動を止めませんでした。むしろ政府サイドには多数派シンハラ人の生活への不満・政府への不満をそらすために意図的に煽った形跡があります。軍も警察もシンハラ人は同じような「集団の狂気」に参加した人達が多かったのだと思います。この犯罪に対して今だに誰も責任をとっていないのです。
やはり人間はキチンと教育され、法律・刑罰というものの枠に嵌らないと凶暴になり、取り返しのつかないことをする動物なのだと思います。1983年のコロンボでは法律・警察制度・刑罰がありませんでした。しかし仏教があったはずです。シンハラ人は敬虔な仏教徒として有名なのですが、その仏教徒がこのような重大な犯罪を犯したのでした。宗教さえ人間の狂気を抑えることはできなかったのです。
実はスリランカ政府は今でも殆ど同じことを毎日繰り返しています。戦闘における死者の数が毎日発表されますが、敵側LTTEの死者数は「戦果」なのです。「戦果」が大きいと民衆(選挙民)が喜ぶ構図がまだ続いているのでしょうか。スリランカの仏教界はどうなっているのでしょうか。
07月25日(金)
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