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Kenの日記
by Ken
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■神田明神で新年祈願
今日「神田明神」に新年の祈願に行ってきました。昨年移動した会社は昔神保町の居を構えていて、その時代から新春3日に神田明神で「商売繁盛、安全祈願」をしてきました。私は正月は帰省する人も居るだろうし、そもそも正月の三日間はノンビリしたいし、今年からその慣例は取り止めようと提案したのでした。しかし前から居る人達が「継続しないとまずくない?」というので、それではということで去年12月28日に急遽新年に参拝することに決めたのでした。

私個人としては、昨年大手町三井物産ビル横の「将門首塚」を参拝し、神田明神が将門由来の神社であることは知っていましたので、神田明神には愛着を持っていたのです。

「平の将門」は天慶2年(939年)に時の朝廷に対して公然と反旗を翻し関東に別の政権を樹立したことで有名です。結局朝廷の討伐にあって乱は平定されましが、朝廷の権威に真正面から抵抗した事件として非常に貴重なものです。というのも平安時代の摂関政治から鎌倉幕府をはじめとする幕府政治も結局は時の朝廷(天皇)の権威は形式的にも尊重する立場にあったからです。

このような背景から「平将門」は時の権力者との関係は微妙でした。徳川家康は江戸城を築くにあたり「平将門」の首塚を大変大事に扱いました。神田明神に祀って「江戸鎮守府」としました。ところが明治政府では扱いが一変してしまったようです。京都から明治天皇が東京に入ると、明治7年の明治天皇の参拝を期に、朝敵の「平将門」は神田明神から外されてしまったのでした。しかしそれ以降「平将門の首塚」を巡って不思議な災難が続いたのだようです。そして公式に将門が神田明神に戻ったのは1984年のことだそうです。

さて現在「平将門」はどんな立場にあるのでしょうか。将門の自主独立の精神については見習って行きたいと思います。

元旦に浦和「調神社」3日に「神田明神」で「おみくじ」を引きました。そして両方とも「大吉」。最近「運」が上向いているのでしょうか。
01月03日(木)
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