ID:85567
Kenの日記
by Ken
[99156hit]
■インド・スリランカ友好交響楽団の演奏会
本日4日「インド・スリランカ交響楽団」のコンサートがオペラシティのコンサートホールで開催されました。楽団の構成は以下の通りでした。(プログラムおよび参加者からの情報)
スリランカ交響楽団:38名、
デリー交響楽団:21名、
ゴア州立弦楽合奏団:3名
ムンバイ室内オーケストラ:1名
日本人:14名(弦楽器各トップとCla,Trmを除く管楽器、打楽器)
ムンバイから参加されたオーボエの「シャンカールさん」は最近入団された方でしょうか、私がムンバイにいた頃はいらっしゃいませんでした。ゴアからの参加者の中にチェロパートの「バスコ・ディアスさん」がいらっしゃいました。彼とはムンバイのコンサートで同じプルートで演奏した仲です。私のことを覚えていてくれて、思いがけない日本での再会に感激していました。
スリランカ交響楽団はほぼ全員の引越し公演となりました。懐かしい顔ぶれです。私に色々親切にしてくれたチェロのカマーニ嬢はオーストラリア留学中、ドュッシー先生のお嬢さん二人は英国留学中、セカンドバイオリンで名ピアニストで法律家でもあるサンダリーさんはアメリカに居るとのことで今回は不参加でした。それでもドュッシー先生門下のタマーラさん、アミラさん、ジョイさんとドュッシー先生が参加されました。先生からしっかり練習しているかと質問され少し恥ずかしい思いでした。
曲目は大学祝典序曲、スリランカ人作曲家「ハルシャ・マカランダさん」のスリランカの自然を称える曲(作曲者自身がピアノを担当され、二つの民族打楽器が参加しました)、シンプルシンフォニー、チャイコフスキーの「ロメ・ジュリ」幻想序曲。アンコールが「ガイーヌ」から「ばらの乙女達の踊り」でした。ほぼ満員の客席にはインド・スリランカに関係する方が詰め掛けた様子で非常に暖かい雰囲気でした。演奏終了後も拍手が鳴り止まず、「無粋」なコンマスが拍手が続いているのにオーケストラを解散させました。
演奏は非常に熱がこもったものでした。特にファーストバイオリンの4プルート外側に陣取る「ツシャーニ嬢(アーナンダさんの一番弟子)」が非常に力強くしっかり弾いているのでファーストバイオリンは後ろから厚い音がしていました。アーナンダさん(スリランカ交響楽団コンマス)は日本人コンマスの横に座っていましたが、彼なら全体を統率することも十分できたはずです。ファーストバイオリン第二プルートにはスリランカ随一のピアニストのラーマヤさんが座っていました。楽屋でお会いした時に非常に優しい言葉をかけて頂きました。
チェロは日本人チェリストの諸岡さんをトップにドュッシー先生が真ん中に座りスリランカ人・インド人を束ねていました。ゴアから来た「バスコさん」に私がドュッシー先生に習っていたことを打ち明けると大変驚いていました。インドのゴアから来たプレイヤーとスリランカのプレイヤーが同じ日本人で繋がっているなんて信じられない状況ではあります。チェロ・ビオラの中低弦は非常に充実していたと思います。
弦楽器にプロ級の奏者を抱えるものの、管楽器は基本的にアマチュアの域をでません。というのもインド・スリランカに管楽器の先生がいないからです。彼等が管楽器を勉強するのは軍楽隊の先輩なのです。今回スリランカからやってきたオーボエ奏者の「ハシータ君」。本番前に楽屋であったら非常に緊張していました。案の定大学祝典序曲で苦労していました。クラリネットはエキストラなしでした。ムンバイから「ダニッツさん」が来ていたら最強だったと思います。
各弦楽器トップには日本人が座りました。これは長旅で疲れているインド・スリランカの演奏家に負担をかけたくないという主催者側の配慮であったかもしれません。しかし、せめて「コンマス」は「アーナンダさん」を起用しべきでした。日本・インド・スリランカの友好楽団ではありますが、基本的に海外からお呼びしたプレイーヤの方達です。技術的に難しければ日本人がアシストに回れば十分です。日本人は「指導する・教える」という立場ではなく「一緒に楽しむ・支える」という役割を果たすべきでした。コンサートマスターの「大げさな」アクションは見ていて恥ずかしくなりました。
[5]続きを読む
10月04日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る